腋毛考

  北京オリンピックのテレビを見ていたら、妙なことに気がついた。それは、体操とトランポリンの違いである。体操の男子選手が逞しい腋毛を誇示しているのに対し、トランポリンの男子選手は腋毛を綺麗に処理している。両者ともかなり共通性のある競技だと思うのだが、なぜその違いが出て来るのだろうか。体操の場合が逞しさを競う競技であるのに対し、トランポリンの場合は優雅さを競う競技だといった意識の違いがあるのかとも思うが、何となく不思議な気持で見ていた。もっとも、それぞれほんの数人の選手を見ただけだから、あるいは文字通り「九牛の一毛」なのかも知れないが・・・。
 

  腋毛というのは、厄介なものだと思う。女性の場合は既に答が出ているとして、男性の場合、それを処理していると何となく違和感があるし、そうかと言ってそれを堂々と誇示されると、何となく動物的な感じを抱き、目のやり場に困るような気がしないでもない。
  頭の毛は、男女ともオープンにすることに何の問題もないが、腋毛の場合妙に意識してしまうのは、もう1ヶ所の毛との連想が働くからなのだろうか。題詠百首というネット短歌の会があり、私もこの数年参加して、頼まれもしない勝手な選歌を私のブログでやっているのだが、少年や青年の「腋毛」をテーマにした作品を何首か目にした。いずれも女性らしき方の作である。一方、若い女性の「白い腋」をテーマにした作品もあった。その作者は男性である。そういったところからみると、腋毛にはやはり性的な連想が働くのだろうか。


 私の少年期、昭和20年代には、腋毛を処理している女性は少なかったような気がする。腋毛の処理をするのは、踊り子その他脇の下を公然と示さざるを得ない立場の人で、一般の女性がその処理をするのは、いかがわしいと言うか、意識過剰と言うか、そんな気持が働いていたのかも知れないし、あるいは隠すべきものだという発想自体がなかったのかも知れない。
 高校生のころ、仲間と何度か海水浴に行ったが、女性の腋毛についての記憶は全くない。私が無関心だったのか、それとも生えていて当然という意識で、全く自然に見過ごしていたのか、それともその逆なのか、今となっては確かめようもない。
 大学時分、多分昭和33年くらいだったと思うのだが、同じ下宿に住む男から「銀行に行ったら、可愛い女子行員の半袖ブラウスの蔭から腋毛が見えて、幻滅した」という話を聞いた記憶がある。私がどう答えたのかは覚えていないのだが、「なぜ処理をする必要があるんだ。そのままの方が健康的で良いじゃないか」といった気持を抱いたような微かな記憶がある。あるいは、そのことに一種のセックスアッピールを感じたのかも知れない。その記憶からすれば、おそらくこの頃が、女性の腋毛処理が一般化する前後の端境期だったのではないかという気がする。
 
 イタリア映画の「苦い米」で、シルバーナ・マンガーノの健康で逞しい腋毛が話題になったのが昭和34年頃である。話題になったということは、その頃には、女性が腋毛を処理することが、既に一般化しつつあったのかも知れない。
 ネットのウィキペディアを検索してみたら、古い時代は別として、腋毛の処理は1915年のアメリカのある女性誌が発端であり、戦後西欧にも普及したとある。我が国の場合、1950年代にノースリーブが普及するようになって、女性の腋毛の処理がはじまったという。なお、イスラム社会では、男女ともそれを処理するのが普通だとある。
 黒木香さんなる「腋毛女優」が話題になったのは、20年くらい前だっただろうか。このころには、女性が腋毛の処理をするのは常識化しており、彼女の場合、珍しい「珍品」として話題になったのだと思う。


 
 話は変わる。平成の市町村大合併で、福岡県に上毛(こうげ)町が生まれ、これと隣接した大分県の下毛(しもげ)郡は中津市との合併により消滅した。群馬県は古くは上毛(かみつけ)の国であり、栃木県は下毛(しもつけ)の国である。群馬県には、上毛(じょうもう)新聞や上毛(じょうもう)電鉄もあるが、栃木県には、下野(しもつけ)市は誕生したものの、「下毛」を誇示する名称は見当たらないようだ。