北京五輪開会式(スペース・マガジン9月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


    [愚想管見] 北京五輪開会式             西中眞二郎


 北京オリンピックの開会式をテレビで見た。光と映像を中心としたハイテク技術と、統制のとれた人海戦術の見事な複合に圧倒された。中国の「国力」と「意欲」に圧倒されたと言っても良いだろう。44年前の東京オリンピックのアトラクションがどんなものだったのか記憶がはっきりしないのだが、これほど迫力のあるものでなかったことだけは確かだ。もっとも、オリンピックの開会式の変質とショー化が底流にあることには間違いあるまいが、それにしても「大国」になった中国をあらためて意識させられたことは事実だ。
 もう一つ、中国の文化や伝統を強調していることに、強い印象を受けた。もし現在の時点で我が国がオリンピックを開催したとして、これほど民族性を強調するだろうか。日本色を強く出すことに対するためらいや照れ臭さもあるだろうし、「外国の人にどれだけ理解して貰えるか」といった「慎ましい」気持も当然抱くところだろう。それに比して、この中国の民族色はどうだ。そこに中国の自信を感じるとともに、やや醒めた目で見れば、民族の誇りの裏返しとしての「中華思想」めいたものも感じなかったわけではない。

 重ねて言えば、開会式を見て、中国の「強さ」と「自信」をあらためて感じるとともに、その「怖さ」を感じたことも否定できない。現在の中国に、これだけのものをやるだけの「ゆとり」があるのかどうか、独裁国家による虚勢を交えた「国威発揚」ではないかなどの批判もあり得るところだろうが、この際は単純にその圧倒的迫力に感服しておこう。

 選手団の入場行進も随分変わった。以前は整然とした行進だったような記憶があるのだが、いまや全体にリラックスした感じで、選手たちはニコニコ、ゾロゾロと歩いている。これまた批判的な見方もあるだろうが、軍隊式の整然とした動きばかりが能ではあるまい。

入場行進の国の順序が、漢字表記の字画数の少ない順という整理法には、いささか戸惑った。漢字表記のやり方は、当事国の意向とかかわりなく、中国が勝手に決めたものだと言って良いだろう。それを国際的な大舞台で臆面もなく打ち出すということに、中国の誇りと新鮮さを感じるとともに、これまた「中華思想」の現れかという印象を受けなかったわけでもない。
 漢字表記にする以上、漢和辞典の索引と同様、第一文字の画数によるしかないのだろうが、マレーシアなどが四画の「日本」の前になぜ出て来たのかは良く判らない。マレーシアは多分「馬」なのだろうが、これでは字画が多過ぎる。多分中国流の略字体で簡略化されているせいなのだろう。せっかくの機会だから、それぞれの国名が漢字でどのように表記されるのか、それに中国流の略字体がどうなっているのか知りたいと思って期待していたのだが、NHKテレビのテロップでは漢字の表記は全く出て来ず、私の期待は見事に裏切られた。行進の順序はセレモニーの重要な要素である。しかも同じ漢字国の報道機関であり、時間的余裕も十分あったはずだから、その表示をはっきりさせることは、テレビという視覚による報道の重要な要素ではないのか。NHKがどうしてこのことに思い至らなかったのか、全くもって腑に落ちない。(スペース・マガジン9月号所収)