題詠100首選歌集(その60)

 早いものでもう10月。涼しい日が続く。題詠100首も、余すところ1月になった。名残り惜しいような気がしないでもない。


          選歌集・その60



031:忍(181〜205)
(月原真幸)忍び寄る朝の気配にまた少し身構える また眠れなくなる
(原 梓) 夜雨を忍び咲く十薬の周りにて闇はますます闇をふかめる
(やや)忍びよる影と目があう八月の赤信号はやたら長くて
(瑞紀) 忍ぶ恋はできぬと君が言いしこと蝉時雨ふる道に思いぬ
(まなまま) ポケットに想い忍ばせ校庭の君さがしてる午後の教室
(夏端月) しあわせな忍び笑いが漏れた日も別れに向かう一日だった
(みゆ)忍ばせた「好き」が誰にもばれぬよに少し長めに前髪おろす
037:V(163〜187)
(やや) Vサインと笑みを残した仏前に止まった時の数をかぞえる
(夏椿) Viagra のみに繋がる夜をかさぬ離婚届を出さざるきみと
038:有(156〜181)
(月原真幸)泣いたっていいよ 宇宙は有限で街は広くてどこにも行けない
(田中彼方)寄り添うて行き処なく夜を行く。「空有」の文字見あたらぬまま。
(里坂季夜)有限の残り時間を切り分けて見上げる空に流星ひとつ
041:存在(154〜178)
(原 梓)晴天が続いているから道端で小糠雨恋う存在理由(レゾン・デートル)
(やや) 大空へ解放された魂の存在として揺れる風鈴
(お気楽堂)歳三の存在したる証とて手植えの矢竹いまも繁れり
(冬鳥)持ち主の不在 そのまま年月(としつき)を経し古靴の存在理由(レゾン・デートル)
(里坂季夜)ささやかな存在意義が明滅をはじめる季節ひぐらしの声
067:葱(103〜129)
(萱野芙蓉)木琴の音のやうなり列なして月のひかりに浮く葱ばうず
(夏椿)朝礼のごとくならびて葱ばうず五月の風に順序よく揺る
(大辻隆弘) 青葱をきざみゐる間に歳を取りわれは土鍋のかたへに眠る
(駒沢直)葱惜しむ心が僕をダメにした一人でゆでる蕎麦の湯気嗅ぐ
068:踊(105〜130)
(やすまる) 踊り場の夏の窓には蜘蛛の網しがらみごしの空の青さよ
(萱野芙蓉)フィドルにも踊らぬ仔犬を従へて辻音楽士の冬の日暮れぬ
(井関広志)陶製の唇紅き踊り子の白き記憶は冷えてゆくなり
(夏椿) 風のままに踊れる萩の花群が裡に抱くひとかたまりの闇
(原 梓) 踊り場に秋の日差しと失われゆくものたちが降り注ぎたる
(大辻隆弘)戸のおくに闇が踊るといひたりき或いは淡くこころを病みて
069:呼吸(107〜131)
(萱野芙蓉) おそ秋の永観堂にもみぢふり祈りの呼吸朱にみだされぬ
ひぐらしひなつ) 病む人のうすき呼吸をたしかめて白き花瓶に挿す夏の花
(市川周) ラーメンを固めにゆでる雨の日は両生類の呼吸を想う
(大辻隆弘) 真夜中の花舗のガラスをくもらせて秋くさぐさのしづかな呼吸
082:研(79〜103)
(帯一鐘信)  ざらついた砥石のうえで研ぐ刃から星が流れる祭りの前夜
(萱野芙蓉) 研ぎ屋より母の包丁持ちかへる 舗道こんなにつめたくかたい
(橘 みちよ)胴ふとき秋刀魚買ひ来てひたすらに包丁を研ぐ夜の流しに 
(夏椿) 色のなき花野のやうな癌研にわれよりわれを知る医師が笑む
(大辻隆弘) 一穂の燭のほのほを研ぐごとく机上に闇はくだりきたりぬ
083:名古屋(76〜101)
(帯一鐘信) にっぽんの全体地図を想像し名古屋あたりに点を打つ 恋
(本田鈴雨) ゆふぐれの風よわが歌つれてゆけ名古屋の空の茜雲まで
(青野ことり) たったいま読んだばかりの小説の名古屋ことばがつい口をつく
(橘 みちよ) 空港より名古屋へバスに隣りあひし子連れの韓国女性(コリアン)何処(いづこ)へゆきし
(夏椿)菓子問屋街へみちびく春の風ふるき名古屋の形に折れつつ
091:渇(51〜76)
(井関広志) 荒るる酒飲みつぐ夜はこめかみの奥の渇きを舌先に載す
(夏椿) 地におちてなほうち伏せぬ夏つばき空にいかなる渇望やある