過剰防衛社会(スペース・マガジン11月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。



        [愚想管見] 過剰防衛社会               西中眞二郎

 
最近のことだが、100万円を少し超える送金をしようと思って近所のATMに行ったら、上限を超えているということで機械に扱いを拒絶された。その銀行の有人窓口が近所にないので、結局翌日に残額を送金するという手順を踏まざるを得なかったのだが、随分不便になったものだ。振り込め詐欺対策として講じられた措置なのかと思うが、1人の被害者を防ぐため100人の人が不自由な思いをするということになれば、これまた問題だ。銀行や役所での手続の際、最近は「本人確認」が随分厳格になった。それぞれ理由のあることなのだろうが、これまた1人のために100人が犠牲になっている面があるような気もする。

 個人情報の保護のために学校の電話連絡網の作成ができなくなったケースもあると聞く。法律はそこまで規制しているわけではないのだが、「個人情報保護」というスローガンに踊らされて、不必要に萎縮している面も多いのだと思う。さすがに、関係の役所も行き過ぎに気付き、「そこまで規制しているわけではない」というキャンペーンに手を付けたようだが、名簿作りの煩わしさから逃れるために、「個人情報保護」という錦の御旗を利用している場合もあるのかも知れない。

 税制の公正さを確保するためには、納税者背番号制度が不可欠だと私は思っているのだが、個人情報保護の観点や国家による個人情報管理に反対だという理由で、これに反対する声も強いようだ。たしかにそれも判らないではないが、悪用を防ぐための工夫は当然として、税制の公正な運用という具体的かつ切実な目的のためには、当然採るべき方策なのではないか。所得隠しがばれるのを恐れて、そのような大義名分論を隠れ蓑にしている面々も多いような気がしてならない。

 アメリカでの出来事だが、濡れた飼い猫を乾かそうと思って電子レンジに入れて死なせてしまった人が、「使用注意書に、猫を入れてはいけないと書いていなかった」とメーカーを告発したという話を、昔聞いた記憶がある。訴訟の結果がどうなったのか、メーカーの使用注意書が変えられたのかどうかは知らないが、もしそこまで書かなければならないのだとすれば、これこそ過剰防衛の最たるものだという気がする。
 
 「規制緩和」が声高に叫ばれているが、いったん何かが起こると、必ず「政府は何をしているのだ」という厳しい世論が巻き起こる。そうなると、政府も手を打たざるを得なくなるし、銀行も手続を厳しくせざるを得なくなる。ATMの上限制限もそうだし、不正建築事件に端を発した建築許可の厳格化により、建築手続が随分煩雑になったという話も聞く。不正が起きないようにすることは正しいことには違いないが、批判を避けるために必要以上に規制を強化しているケースも多いのではないか。
 意地悪く言えば、「正義」に名を借りた「保身」と言っても良いかのも知れないし、批判を避けるための過剰防衛だと言っても良いだろう。例を挙げればきりがないが、今や、「世論を尊重する温かい政治」が評価され、1人の保護のために100人が不便を強いられるという「過剰防衛社会」に入っているような気がしないでもない。(スペース・マガジン11月号所収)