短歌の評価(選者による物差しの違い)
短歌の評価は、人によってさまざまだと思う。このところ参加している題詠100首というネット短歌の会で、さまざまな参加者が鑑賞サイトを開いているが、ある方が高く評価した短歌でも、私の目から見ればあまり評価できないものも多い。逆に、私が高く評価した作品も、他の方の目からみればあまり評価されない場合も多いようだ。それだけ鑑賞する人によって、その物差しがまちまちなのだと思う。
これが数学の試験なら、正解は一つしかないはずだし、論文式のテストであれば多少のばらつきはあるだろうが、やはりそれほど大きな評価の偏りはないだろう。ところが、短歌の場合はそうではないようだ。極論すれば、ある人が評価するタイプの作品は、別のある人は全く評価しないといったいわば逆相関とでも言うべき関係すらあるような気がする。
朝日新聞に毎週掲載されている朝日歌壇を見ても、そのような関係がありそうだ。朝日歌壇は、全部の投稿作品を4人の選者がそれぞれ10首ずつ選んでいるのだが、複数の選者に選ばれている作品は極めて少ない。選ばれた40首のうち、複数選者共通のものは、せいぜい4、5首程度という感じである。
そのことを数字的に立証してみようと思って、今年1月から11月半ばまでの44週の掲載作品を計算してみた。選者は、高野公彦・永田和宏・馬場あき子・佐佐木幸綱の各氏である。それぞれの週にそれぞれの選者に共通して選ばれた作品の数を、表にまとめてみよう。(以下敬称略)
共通作品0首の週 同1首の週 同2首の週 合計
高野・永田 26(59.1%) 16(36.4%) 2(4.5%) 44
高野・馬場 35(79.5%) 8(18.2%) 1(2.3%) 44
高野・佐佐木 26(59.1%) 16(36.4%) 2(4.5%) 44
永田・馬場 28(63.6%) 16(36.4%) 0(0%) 44
永田・佐佐木 29(65.9%) 14(31.8%) 1(2.3%) 44
馬場・佐佐木 33(75.0%) 9(20.5%) 2(4.5%) 44
平均 29.5(67.0%) 13.2(29.9%) 1.3(3.0%) 44
こうして見ると、選者の組合せによって共通選の数字にかなりの違いはあるが、極端に大きなばらつきはない。いずれにしても、選者による選択が大きく異なっていることだけは間違いない。2人の選者に共通して選ばれた作品が3首あったケースはゼロである。また、4人のすべてに選ばれた作品は一つもなく、3人によって選ばれた作品はわずかに4首である。選ばれた歌の総数は1760首(10首×4人×44週)、重複を除いた総数が1665首のはずだから、これがいかに小さい数字かということを示している。
ところで、これらの数字がいかに小さい数字かということを、別の指標で示してみよう。
100個の玉から、2人が全く無作為に10個ずつ選んだ場合につき、順列組合せで計算してみると、その重複の確率は、共通0個の場合が33.0%、共通1個の場合が40.8%、共通2個の場合が20.1%・・・・となる。これに比べても、朝日歌壇の場合の重複の度合いは遥かに小さい。これは100から選んだ場合の確率だが、母数が違う数字の場合も想定して、表にまとめてみよう。
選ばれる母数 共通作品0首の確率 同1首 同2首 同3首 同4首
50首 8.3% 26.6% 33.7% 21.8% 7.8%
100首 33.0% 40.8% 20.2% 5.2% 0.8%
200首 59.1% 32.7% 7.3% 0.8% 0.1%
300首 70.9% 25.2% 3.6% 0.3% 0.0%
400首 77.4% 20.3% 2.2% 0.1% 0.0%
500首 81.6% 17.0% 1.4% 0.1% 0.0%
これと、現実の各選者の共通選とを対比してみると、高野・永田と高野・佐佐木は200首からの抽出に、高野・馬場と馬場・佐佐木は400首からの抽出にかなり似通っており、永田・馬場と永田・佐佐木、それに全体の平均は、概ね200首と300首の中間あたりにある。もちろん、各選者は、無作為に選歌をされているわけではないから、この数字との対比は特に意味があるものとは思わないが、想像を交えて言えば、選ばれた作品と同じくらいのレベルの作品が毎週200〜400首くらいあり、それぞれの選者の好みによって、その中の10首が選ばれているという乱暴な推論も、あるいは可能なのかも知れない。
以上は短歌の話だが、俳句になると、共通選はさらに大幅に少なくなる。詳述は避けるが、朝日俳壇の場合、いずれも平均値で、共通選ゼロのケースが94.4%、共通選1のケースが5.2%、共通選2のケースが0.4%という結果であり、上の無作為抽出の計算ケースを遥かにはみ出してしまっている。俳句の場合、選者による物差しが違うだけではなく、ある選者の好みに合った作品は他の選者のお眼鏡には叶わないという、むしろ積極的な排除関係にあると思われてならない。
あえて結論を書くまでもないだろうが、短歌、俳句とも選者によって評価の物差しが違い、したがって選ぶ作品が大きく違うということ、とりわけ俳句の場合、その傾向が著しいということを、朝日新聞の紙面から実証(?)してみた。