オバマ大統領誕生(スペース・マガジン12月号) 

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


[愚想管見]   オバマ大統領誕生              西中眞二郎


 オバマ大統領誕生の歴史的意義などについては既に詳細に報道されているので、いまさら私見を付け加えることもないのだが、思い付くままの雑感を一つだけ書いてみたい。
 
 オバマさんは、日本流に言えば、国会議員になったばかりの1年生議員である。もとより名門の出身というわけでもない。安倍さんが総理大臣になったとき、「人気先行で実績もない若い3世政治家」との印象が強かったという記憶があるが、彼をどう評価するかは別として、その安倍さんですら、年齢、経歴ともにオバマさんをかなり上回っていた。極論すれば、「ついこの間までは名もなき市民だった若者」を大統領に選ぶというアメリ国民の選択に、アメリカの若さと活力を感じるとともに、予備選、本選を通じてのお祭り騒ぎに浮かれているような一種の違和感を抱いたことも否定できない。


 オバマさんが脚光を浴びるに至ったのは、その弁舌の巧みさがきっかけだったと聞く。「一国のリーダーに求められる最大の資質は、国民に対して訴える言葉の力だが、我が国の政治家にはその力が欠けている」といった趣旨の論評も、昨今新聞紙上などで良く目にするところだ。しかし、そこまで単純に割り切って良いのかどうか。「演説がうまい」ということは、見方によっては「単なる口舌(くぜつ)の徒に過ぎない」という場合もあるような気がするし、表現力よりもその中身が大事だという考え方もあり得るところだと思う。
 「イエス・ウィー・キャン」というお得意のセリフはいかにも魅力的だが、もし日本の政治家が同じような内容を絶叫したとしたら、われわれ日本人はどのように感じるだろうか。歯の浮くようなセリフだと感じるかもしれないし、中身の乏しさを表現で補っているという見方をする向きも出て来るだろう。かつての小泉さんの語り口と共通点があるような気もするが、私の感覚で言えば、小泉さんには反発を感じたし、オバマさんには共感を覚える。その内容にもよるのだろうが、我が国の政治家と外国の政治家に対する評価の物差しの違い、更に言えば、われわれの感性に直接訴える日本語の演説に対する評価と、そうでない英語の演説に対する評価の違いということもその一因なのかも知れない。


 オバマさんの批判をしようという意図は毛頭ない。オバマさんには大いに魅力を感じているし、アメリカ国民は正しい選択をしたのだと思っている。2世、3世議員が跋扈(ばっこ)する我が国の現状と比較して、アメリカ国民とその政治に、新しい魅力を感じているのも事実だ。ただ、「オバマさんがもし日本の政治家だったとして、われわれ日本人が彼を評価するとすれば、また違う評価になるのかもしれないな」という素朴な印象を持ち、それを面白く感じたというだけの話なのだ。


 ところで、以前この欄で小泉政権に関し、「アメリカべったりならまだしも、ブッシュべったりだ」と批判したことがあるのだが、ブッシュ路線から訣別しようとしているオバマさんの目に、「ブッシュべったり」だった我が国のこれまでの路線がどのように映っているのか、これも関心があることの一つだ。(スペース・マガジン12月号所収)

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 同誌に書いたのは以上だが、一言だけ付け加えておこう。このエッセイの中で「口舌の徒」を軽視しているような部分があるが、日本語を正しく読めない政治家は、「口舌の徒」以前の問題だと思う。漢字の読解力がすべてでないことは当然だが、正しい日本語で話せない政治家が他のことでは正しい理解力や判断力を持っているとは思えないという気がしないでもない。
 話は違うが、今日は12月8日、戦時中の言葉で言えば「大詔奉戴日」だ。この言葉に記憶のある人も少なくなった。決して復活して欲しくない言葉の一つだ。