平成21年年賀状

 年頭に当たり、皆々様のますますの御健勝と御発展をお祈り申し上 げますとともに、今後とも変わらぬ御厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

 [近況]小人閑居してさしたる不善もなさず、家内ともどもまずは元気で過ごしております。相変わらず家内とのザル碁とパソコンの前に坐っている時間が多い日常ですが、私のブログへのアクセス件数はこの3年余りで22万件を超えました。詳しい近況は、ブログに記載しております。

  平成21年元旦                西中眞二郎(毛筆にて署名)
                            住所・電話番号(略)
                      E-mail nisinak001@@ybb.ne.jp
                  URL http://hatena.ne.jp/nishinaka/ 

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 去年とあまり代わり映えしませんが、 以上が今年の私の年賀状です。本物はもちろんタテ書きです。このブログを通して御面識(?)を頂いた皆様にも、この場を利用して、上記年賀状により新年の御挨拶を申し上げます。なお、親戚や共通の知人あてのものは家内と連名にしており、したがって文面も多少は違います。また、機械的に送られる迷惑メールを避けるため、このブログに記載したメールアドレスには「@」を一つ余計に記載しております。
 文面はパソコン印刷ですが、宛名と私自身の署名は、数年前まではすべて筆で書いておりました。ひところは1000通を超えておりましたし、現在でも600通近くにはなりますので、筆書きもいささか重荷になり、そろそろパソコンでの宛名書きに切り替えようかとも思い、実は3年前から、一部はパソコンによる宛名書きに切り替えました。高校生のころから毛筆による直筆を続けておりましたので、何だか手抜きをしたような「罪の意識」もあり、「やはり、全部手書きにした方が良かったかな」という気がしないでもありません。

 ところで、上記年賀状で、「詳しくは私のブログで」と書いておりますので、以下その「詳しく」を書かせて頂きます。
    <「詳しく」の中身> 平成21年1月1日現在

 古希も過ぎ、今年は年男です。早いもので、通産省を退官してから21年半、最後の職場の南関東自転車競技会会長の職を退いて5年半になりますが、まずは元気に、さほど退屈もせずに日を送っております。いろいろ気が多いものですから、自分なりに結構忙しくしていると申しても良いのかもしれません。
 ワープロ歴は長いものの、パソコンに切り替えてからは5年強、ブログをはじめてからは4年弱という初心者ですが、いまや、パソコンやブログのない生活は考えられないような状況でもあります。
 以下、年賀状の補足として、少々近況報告をさせて頂きたいと存じます。

1 昨年春の叙勲で、瑞宝小綬章を受章しました。現在の生存者叙勲は70歳以上が原則であり、ある意味では70歳になった通過儀礼のような気がしないでもありません。それに、自慢できるほどのランクのものでもなく、いたずらに馬齢を重ねた証のような気もしています。以前は、叙勲を受ける人はかなり御老体の大先輩だという意識でおりましたが、自分がその年齢になってしまったということに、いささかの感慨はあります。もっとも、まだまだ精神年齢は中年くらいの積りでいることは事実ですが、時として老いを感じることも否定できません。
 それやこれや、少々屈折した気持もあり、辞退しようかとの気持もあったのですが、結局折角ですからありがたくお受けしたものです。公表・発令が4月29日、現物を頂いたのが5月9日です。このブログの5月1日の欄に「叙勲の弁」を、5月10日の欄に式典の報告を書いております。

2 平成17年5月に刊行した「日本語雑記帳―――ことば随筆」(新風舎文庫)につきましては、一昨年千部弱増刷になったところまでは良かったのですが、昨年早々に出版社が倒産してしまいました。もっとも、インターネットで検索しましたら、アマゾンあたりのリストには入っていますので、まだ流通はしているようです。(同書につきましては、18年の5月13日と8月5日付けのブログに、やや詳しく書いております。また、新風舎の倒産につきましては、昨年1月3日のブログで触れております。)

3 ザル碁の話になりますが、私の棋力は弱い4段といったところです。30年くらい前、ある機会に福島の猛牛と謳われた宮下秀洋九段に打って頂いて3段の免状を手にしたものです。家内は私に3子と4子を行ったり来たりというところですから、級位の上の方といったところなのでしょうか。特別のことがない限り、1日に3局くらい打っていますから、年間で言えば、1000局くらいにはなるのだと思います。局数だけで言えばギネスブック・クラスだと思いますが、お互いにあまり上達しているとも思えません。むしろ私の場合、家内との対局のお蔭で手が荒れて来ているのではないかという気がしないでもありません。

4 「北原白秋顕彰短歌大会」という短歌の会が、白秋生地の福岡県柳川市の主催で毎年開かれていますが、昨年秋、私の作品が伊藤一彦氏選の地賞に入選しました。入選作品は、
      風邪引きて妻寝し後の茶を飲めば 深夜の如き九時十五分
というものであり、詳しくは11月9日のブログに記載しております。

5 「棄権・欠席も選択肢」が、3月19日に朝日新聞の「声」に掲載されました。「ねじれ国会」についての私見です。東京本社版に掲載されたもので、同日付のブログに転載しています。これで、声掲載は10回目くらいになります。投稿マニアというわけではありませんが、ボツになったケースもそのくらいの数にはなるだろうと思います。

6 日立市で刊行されている「スペース・マガジン」というタウン誌に、「愚想管見」というコラムを持たせて頂き、毎月思いつくままに勝手なことを書いております。早いもので、去年で丸4年になりました。これもこのブログに毎月(10日前後)転載しております。

7 五十嵐きよみさんという歌人の方が主宰しておられる「題詠100首」というネット短歌の催しに参加しているのですが、参加者の方の作品21,045首を勝手に選歌し、このブログに76回にわたって掲載しました。また、その締めくくりとして、催しの終了後、全く気まま・勝手な試みとして、「題詠百首・百人一首」を作り、11月3日のブログに掲載しております。これも昨年で4年目になります。

8 私の郷里の「東京東和町人会」の会長を、引き続き務めさせて頂いており、もう10年以上になります。「東和町」は、瀬戸内海で小豆島に次いで大きい周防大島の東端の町で、平成の大合併で島内の4町が合併した結果「周防大島町」の一部になっているのですが、旧町人会は4町ともそのまま存続しているものです。
 その4町全体をカバーする大島郡人会という会もあり、作詞家の星野哲郎さんが会長をしておられた時期もありましたが、このところ旧4町の町人会の会長が回り持ちで会長を務めるルールになっており、昨年11月から私が東京大島郡人会の会長も務めることになりました。任期は3年で、3年経てば別の町人会の会長に引き継ぐことになります。大島郡人会は、明治時代から続いている歴史のある会ですが、町人会、郡人会ともに高齢化が進んでいるのが現状であり、なかなかむずかしい問題も抱えております。次の会長に何とか無事にバトンタッチすることが、最低限の責務だと思っております。
 なお、民俗学者宮本常一さん(故人)、作詞家の星野哲郎さんは、東和町の出身であり、東和町の名誉町民にもなっておられましたが、昨春朝日新聞「窓」という欄に、両氏を通して東和町の記事が出ていましたので、8月13日のブログに、その紹介と多少の雑感を書いております。

 
 この1年の近況をやや詳しく申し上げれば、以上のようなことです。こうして整理してみますと、「余りたいしたことはしていないな」ということを、改めて感じます。もっと生活に密着した出来事も少しはあったような気がしますが、とりたてて申し上げるほどの「事件」はなく、概して「無為徒食」に徹しております。もとより、世相に対する不満や憤りはいろいろありますが、この年賀状では触れずにおこうと思います。