テロと官僚(スペース・マガジン1月号)

 例によって、スペース・マガジンからの転載である。


 注:「スペース・マガジン」は、日立市で刊行されているタウン誌で、ある御縁から、この4年にわたり、[愚想管見]というタイトルで、勝手なコラムを書かせて頂いている。



   [愚想管見]  テロと官僚              西中眞二郎


 元厚生次官襲撃事件には愕然とした。暴力やテロ行為が許されるべきでないのは当然だが、そのような一般論に加えて、現在では格別の力も持っていない官僚OB、更にはその夫人まで襲うということは、テロの常識(?)すら無視した蛮行だとしか言いようがない。容疑者は、いわゆる「高級官僚」に対して敵意を抱いていたようだが、それとも関連して、官僚を巡る昨今の流れについて、いくつかの感想を抱いたところだ。
 まず官僚の「責任」ということだ。官庁は組織で動いており、しかもその上には政治がある。個々の官僚は黒子のはずである。官僚に責任があるとすれば、それは組織としての責任だというケースが多いのだと思う。そう言った意味では、官僚個人に対するテロ行為は、テロとしてもナンセンスだと思う。
 他方、このことが「官僚は無責任だ」という批判にもつながって来るのだろうが、その組織的欠陥を是正するのは、まず官僚自体の自戒と反省であり、同時に、それをチェックすべき政治であり、世論だと思う。

 「官僚」に対するマイナスイメージが昨今とみに強まっているような気がするのだが、私の知る限りでは、多くの官僚たちは、利害が錯綜する社会の中で最適解を求めて真剣に悩み、仕事に取り組んでいる。「社会に対する貢献」という意欲を持って官僚の道を選び、自分なりにその意識を持って仕事をして来た積りの私としては、昨今の官庁の目に余る失態や不祥事を苦々しく感じると同時に、ヒステリックとも見える官僚叩きの風潮に釈然としないものを感じているのも、これまた正直なところだ。昨今の官僚叩きの最大のきっかけは、組織の病理的欠陥の顕在化と、一部の不心得者の存在だろうが、もう一つは「官僚」を仮想敵国に仕立てた小泉元総理の責任回避戦略と、その時流に乗った一部のジャーナリズムにもあるような気がする。

 もとより、真剣に仕事をすれば足りるというものではなく、官僚の体質にも大きな問題がある。私の体験からすれば、一つは自分の属する省の立場を過大に重視する省益重視体質である。もう一つは、政策の企画立案を重視する一方で、現場での運用やその効果を一段下に見る結果軽視体質であり、昨今の年金問題が、その典型的なものだと思う。

 官僚は一種の専門家集団であり、それを大局的にリードして行くのは政治のはずである。政治の貧困が官僚依存の状況を生み、そのツケが官僚に回って来て、官僚をスケープゴートにするという風潮が生まれるということは、決して好ましい循環だとは思われない。
 官僚やその組織に対し、是は是とし非は非とする冷静で公正な評価と批判を期待したいと思いつつ、同時に官僚OBであるだけに官僚に甘い評価をしているかも知れないという自戒の念も抱きつつ、いささか複雑な思いで今回の襲撃事件を見ていた。

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 明けましておめでとうございます。早いもので、この欄を持たせて頂いてから5回目の正月を迎えます。至って勝手気ままなコラムですが、今年もよろしくお願い申し上げます。(スペース・マガジン1月号所収)