初老(スペース・マガジン2月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。



     [愚想管見]        初老          西中眞二郎

 
去年の11月の中旬、北陸在住の縁者から宅配便の荷物が届いた。お歳暮にしては早過ぎると思いながら開けてみたら、餅の詰め合わせで「初老 ○○」との細長い紙札が付いている。○○とあるのは、送り主の子息の名前である。どうも何かのお祝いらしいのだが、「初老」というお祝いは聞いたことがない。そこで辞書で「初老」を調べてみたら、その中に「40歳の異称」という記載があった。
 確かに○○氏は数え年で41歳、近いうちに満40歳の誕生日を迎える人物である。お祝いのことは辞書にも何も書かれていないのだが、どうも40歳のお祝いということらしい。それにしても、40歳を「初老」というのは、現在の我々の感覚にはピンと来ない。初老という言葉自体は馴染みのある言葉だが、「初老の男」といった場合、私の感覚では60歳を過ぎたくらいの年齢を想像してしまう。もっとも、70歳が古来稀だという「古希」との対比からすれば、40歳で「初老」と言ってもおかしくはないのかも知れない。
 受取のお礼を兼ねて送り主に電話してみたら、予想通り40歳のお祝いで、その地域に古くからある慣習だという。お祝いという性格からすれば、こちらからお祝いを差し上げて、先方から内祝いが来るというのが普通のやりとりなのだと思うのだが、いわば内祝いを先に頂いてしまったわけだ。その際の説明によれば、この年齢まで無事に命長らえたというお祝いのほかに、厄落しで厄を分けるという意味合いもあるのだという。そう言えば、男性の大厄はたしか数えの42歳だから、それとの繋がりもありそうだ。
 「全く知らない慣習なので、お祝いも差し上げないで失礼しました。あらためてお祝いを差し上げるのもいかがなものかと思いますので、ありがたく頂戴したままにさせて頂きます。」ということで電話を切ったのだが、何となく落ち着かない。厄を分けられたのでは、こちらにとっては迷惑な話ではあるが、「お返し」をしたのでは厄を先方に返すことになり、「厄落し」の意味が薄れてしまう。通常の贈答ならお返しをするのが礼儀だと思うが、結局お返しは省略して、お歳暮の際に少し色を付けることで済ませた。
 考えてみれば、一定量(?)の厄を大勢の人に分ければ、それぞれの人の受け取る「厄」の量は、取るに足りないわずかなものになる。「わずかな厄を分担することで、四十歳氏の厄が大きく減るのなら、それはそれで結構なこととして甘受すべきではないか。」というのが、目下のところの私の結論である。「厄の分散」ということで、一種の保険のような機能を果たしていると考えることもできそうである。
 それにしても、古希を過ぎたこの歳になって、全く知らない風習に出くわしたということ、それに「厄を分ける」というリスク分散の発想が古来の風習の中に息づいていることなどを面白がっているところだ。
(スペース・マガジン2月号所収)