二つのふるさと(呉市と周防大島)

 昨年末、広島県呉市から、「くれ観光特使」になって欲しいとのお便りを頂いた。中身は良く判らないが、呉は高校時代を過ごした懐かしい土地であり、「第二のふるさと」とでも言うべき土地である。何かのお役に立てるのであればと思い、承諾の御返事をした。
 先日、市長からの公式な委嘱状と、「くれ観光特使」の名刺が届いた。名刺は市内の各種施設の無料入場券を兼ねており、名刺自体が「経済的価値」もあるということになるようだ。どこまでお役に立てるかは別として、いろんな方にお渡ししてせいぜい名刺を活用しようと思っている。
 御承知の方も多いと思うが、呉市はかって軍港として繁栄を誇った町であり、我が国十大都市の一郭を占めていたこともある。「軍隊」というものをどう受け止めるかは別として、かつての「海軍」のロマンを感じる町であり、最近オープンした「大和ミュージアム」や旧呉鎮守府庁舎、司令長官官舎その他見るに値する施設も多い。人口は低迷気味だが、最近近隣の町を多数合併して、市域も随分広がった。海と山と歴史を感じる町であり、観光地としても魅力のある存在だと思う。

 
 本来なら、話はこれで終りなのだが、私としてはこれでは片手落ちである。冒頭に書いたように、呉は私の「第二のふるさと」であるが、私の本来のふるさとは山口県周防大島である。その周防大島にも触れておかないと、同郷の人々からお叱りを蒙りそうだ。大島は、淡路島、小豆島に次ぐ瀬戸内海第3の広さを誇る島である。私の少年時代には3町9村あったのだが、その後の合併により、私のふるさと東和町その他の4町に集約され、また最近の大合併により、島全体が「周防大島町」に統合された。
 私は、ここ10年以上、東京東和町人会の会長を仰せつかっており、また、旧4町の東京町人会の会長が回り持ちで務めている東京大島郡人会の会長も、これから3年間務めることになっている。そういったこともあり、周防大島にもぜひ触れておかなければならない。
 周防大島は、ミカンと水産物が特産品の景色の良い島である。典型的な過疎と高齢化の島でもあるが、私のふるさとの旧東和町には、宮本常一記念館、星野哲郎記念館、戦艦陸奥記念館などがあり、そのほかにも島で見るべきところは多い。とにかく景色の良い島であり、人の温もりを感じる島でもある。

 
 呉市周防大島ともども、皆様に是非お立ち寄り頂きたい素晴らしい場所である。

 
 ここから先は、全くの付け足しである。若い頃から短歌をやっており、たまに歌詞めいたものを作ったりもしているのだが、呉と大島をテーマとした御当地ソングの歌詞も作ったことがある。いずれも私一人が温めているだけで、公開されたことのない不良在庫品なのだが、この際ついでに御披露しておこう。


    呉の街
1 音戸大橋一人で渡り   来れば切なや警固屋(けごや)の明かり
  和庄 宮原 あの窓あたり   誰か呼んでる呉の街
2 広で別れて三津田で会うて   水に流した二河(にこう)の川原
  今度会う時ゃ焼山あたり   雨に煙るか灰ヶ峰
3 出船入船ポンポン蒸気   行けば両城川原石
  いとしあの娘(こ)の住む島影も   月に霞むか呉の夜
4 主(ぬし)の自慢のマンモスドック   明日は出船か進水式
  酔って歩けばどの娘(こ)も可愛い   ネオンまぶしい中通り
5 昔いかした海軍さんが   肩で風切る鎮守府あたり
  赤い煉瓦の古びた窓に   今日も灯(ひ)が点く呉の街



   大島旅情
1 岸に寄る波やわらかく   島の緑が見えて来る
  薄い縁(えにし)のあの人が   ぼくの島だと言っていた
  渦潮釣り舟茜雲   大島大橋アア風が吹く
2 気付いたときにはお互いに   もとに戻れぬ傷の痕
  そんな昔の影追って   あなたの島に来たけれど
  心の傷を年月(としつき)が   癒してくれるかアア星の夜
3 年寄りばかりの島だよと   いつかあの人言っていた
  母に良く似た人が行く   蜜柑畑に続く道
  幼い昔に帰るよな   海が優しいアア昼下がり
4 会えないままに行く道を   1日5便のバスが行く
  会えたところでお互いに   昔に戻れるわけじゃなし
  誰にともなく手を振って   松山航路のアア船が出る