定額給付金(スペース・マガジン5月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


    [愚想管見]   定額給付金                 西中眞二郎

 
 いろいろ議論を呼んだ定額給付金も、いよいよ実行段階に入った。原点に立って考えれば、我々が税金を払っているのは、政府に必要な施策を講じて貰うためである。その貴重な資金を国民に戻してしまうのでは、政府の役割を放棄したと言えなくもない。まして財政が逼迫している現在、定額給付金に出す金があればより有効な使途に使用すべきだというのは、当然の議論だ。消費刺激にどれだけの効果があるかにも疑問が残り、かつての地域・期間限定の地域振興券の方が有効だという意見も十分理解できる。
 そういった基本的問題点に加えて、途中段階での迷走ぶりが疑問に拍車を掛けた。「生活援助」なのか「消費刺激」なのか、その性格付けもはっきりしなかったし、おまけに麻生総理の「さもしい」発言まで飛び出してしまった。こうした当事者の迷走が、必要以上に定額給付金のイメージを傷つけたような気がしないでもない。数年前までの定額減税制度の復活ならあまり議論を呼ばなかったのかも知れないが、減税では、所得税を払うだけの所得のある人しか恩典に浴することができない。そういった意味では、定額給付金の方が弱者に目を向けた制度と言えるのだと思うが、この点は必ずしも十分理解されていないのではないか。
 私は、定額減税にも定額給付金にも否定的なのだが、それを実行する以上、本当に困っている人の手に渡るように万全を期することが肝腎だと思う。定額給付金を受けるためには、住民登録が前提になっているようだ。生活保護、職業紹介その他の受益についても同様らしいが、これでは一番困っているホームレスの人たちが適用対象外になる虞れもある。
 住民登録を前提とすることが本当に必要なのかどうかには検討の余地があるような気もするが、制度の運用上不可避なのだとすれば、住民登録の要件を緩和して、いわゆる定住要件を欠いているような場合でも住民登録を受けられるようにすべきではないか。住民登録の場所は、公園内のテントでも、ネットカフェでも、お寺の境内でもどこでも良い。場合によっては、市区町村の役場やNPO法人の事務所でも良いだろう。要は、個人と場所が特定でき、連絡が可能な場所であれば、どこでも良いと割り切るべきではないか。もちろんいろいろな問題はあるだろうが、問題点を気にする余り、一番受益を必要とする人たちが受益の対象から外れることは、何としても避けなければならないことだと思う。
 ところで、「定額給付金に反対している人がそれを受領するのは、モラルに反する」という類の議論もあるようだが、これは全くナンセンスな議論だと思う。ある政策に反対だったとしても、それが実行されることになった以上、それを利用するかどうかは全く別の問題である。これまでの各種の手当や減税に反対だった人も当然いただろうが、その人々がその受益を拒否したという話は聞いたことがない。基本的にはこれと同じ話であり、制度ができた以上、それを受益することは公平の原則から言っても当然のことであり、当然の権利だとすら思う。(スペース・マガジン5月号所収)