政治主導のはき違え

 今日(12月17日)の朝日新聞の社説「政治主導をはき違えるな」を読んで、実は少々驚いた。一昨日ファックスで同紙の「声」に送った私の投稿と、論旨が同じであるのみならず、タイトルまでほとんど同じだったからだ。(もちろん社説の方が長いから、より詳細な内容にわたっているが・・・)
 まさか剽窃したということはないだろうから、偶然の一致だろうと思うし、「社説の見解も私と同じだ」と、単純に喜んでおくことにしよう。
 もっとも同じような社説が載った後で私の投稿が載ることもないだろうから、同紙掲載は諦めてこのブログに載せることにする。

            


              政治主導のはき違え

 
 政治主導、脱官僚依存という考え方自体には異存はない。しかし、昨今の政府与党首脳の動きを見ていると、政治主導ということの意味をはき違えているのではないかという気がしてならない。
 今回の習副主席の天皇会見に関しての政府与党首脳の言動を見ていると、トップが決めたことには反論を許さず、すべてがまかり通ると理解しているようだ。制度や慣例は、さまざまな論議や経験を通しての過去の蓄積の上から成り立っている。もちろん、場合によってはそれを破る勇気も必要だろうが、そのためには十分な検討や説明が必要であり、いかに政治主導とは言え、政府与党首脳の独断で何でも勝手にして良いというものではあるまい。
 内閣法制局長官の国会答弁外しの動きや、先般の事業仕分けにも、この種の不安を抱いていたのだが、今回の会見問題についての政府与党首脳の言動を見るにつけ、その不安はいよいよ強まった。「政治主導」ということは、決して「独裁者」を認めるということではないはずだ。


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 投稿したのは以上なのだが、少々補足しておこう。字数の関係で触れなかったのだが、この問題についての民主党小沢幹事長の言動は、目に余るものがある。以下列挙してみよう。
1 彼の倣岸不遜さは今にはじまったことではないが、本件に関する彼の言動は、ますます「倣岸不遜」そのものである。
2 天皇が反論できない立場にあるのを良いことに、勝手に天皇の意向(らしきもの)を推測し、勝手な発言している。これこそ天皇の政治利用以外の何物でもあるまい。
3 「発言するなら辞表を書いてからにせよ」との宮内庁長官批判も、目に余るものがある。政治家は勝手な発言をしても良いが、官僚には発言を許さないという姿勢は、いかに「政治主導」とは言え乱暴過ぎる発言である。官僚は、最終的には内閣の指示に従うべき存在ではあるが、政治家の使用人ではない。
4 自信満々の憲法発言にも、明らかな間違いがある。天皇の外国首脳との会見は、いわゆる「国事行為」ではない。それを「国事行為」だと発言し、新聞記者の「不勉強さ」をなじっているが、これはそのまま小沢さんにお返しすべきセリフだ。
5 「官僚が作ったルールだ」と言っているが、これは長年にわたる知恵の産物であり、少なくとも政府トップも認めていたルールだと思う。現に、当初宮内庁から断られた際、外務省もこれを了解し、外務大臣も承知していたと聞く。もしそれに異論があるのなら、その際総理の意向も確認した上で、じっくり協議すべきものだっただろう。それを直前になって官房長官から横槍を入れるというのは、常識では考えられない対応である。小沢幹事長は、その辺の経緯も知らないままに、独断で都合の良いように決め付けているとしか思えない。
 
 このような人が実権を握ることの怖さを痛感しているところだ。
 

 書き出すとキリがない。目下年賀状書きをしている最中なのだが、何人かの旧知の民主党議員には、以下のような添書きをしているところだ。
民主党政権には期待を持っていたのですが、正直に申して、小沢独裁にうんざりしている気持も拭い去ることができません」