寛容は美徳ではない(政治資金問題)

 先日某紙に投稿したものだが、どうもボツになったようなので、このブログに掲載する。


        寛容は美徳ではない

 
鳩山総理や小沢幹事長の政治資金問題に関する野党の追及につき、「しつこ過ぎる」という類の批判があるようだが、どうも腑に落ちない。これらの問題は、政治の根幹をなす問題である。ましてや、政権交替の最大の理由が清新さを求める世論にあり、世論が民主党の政治姿勢を評価していたのだとすれば、その根拠が揺らいでいるとも言える大きな問題であり、個別の施策に優先して取り上げるべき重要課題だと思っている。

 かつて自民党政権が金権問題などで批判を受けた際、「それよりも予算が優先だ」という類の世論は、あまり起きなかったように記憶している。そのケースとどう違うのだろう。「自分が支持している政権だから、批判はほどほどにして、その施策に期待したい」ということなのだとすれば、それはひいきの引き倒しに過ぎず、その寛容さは、かえって政府与党の独走を許す危険な発想につながり兼ねないものとも思う。

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 投稿は以上なのだが、少し補足したい。「いつまでも足を引っ張る議論ばかりせず、前向きな政策の議論をせよ」との声もあるようだし、最近の新聞論調や読者の投稿にも、そのような傾向のものが散見される。たしかに、白紙の状態で考えれば、その議論も判らないではないが、現在の政治状況はそのようなものではないように思う。個々の政策の中身というよりは、政権の正統性やその基本的スタンスが問われているのだと思うし、また政府与党からの「ゼロ回答」が続いている状態では、やはり原点に返った議論を「しつこく」続けて行くことが必要な状況なのだと思われてならない。本件に関して言えば、自民党政権に対しては厳しい見解を持っていた論者が、新政権に対しては甘い姿勢を示しているような気もしないでもない。
 ついでに言えば、「家族名義の預金を使用した」という小沢幹事長の釈明は、どうにも腑に落ちない。そもそもなぜそのような巨額の資金があったのかも問題だし、仮にその説明が納得の行くものだったとしても、家族名義の預金にするということは、通常なら家族への「贈与」とみなされるものだと思う。その資金を小沢さんが使ったのだとすれば、そこでは更に「家族」から小沢さんへの贈与があったことになり、二重の贈与税が賦課されるべき性格のものだと思う。この点の追及が、どうも不十分なように思われてならなし。
 なお、鳩山政権のスタンス全体については、2月12日のこのブログに、「期待から失望へ」と題した記事を掲載している。