「歌人・評論家」の弁(大学クラス会誌より)  

 私が東大教養学部文科1類(法学部と経済学部への進学コース)に入学したのは、遥か昔、昭和31年のことだ。翌32年に、クラス会の雑誌として、ガリ版刷りの「うてな」が発行されたのだが、その後はクラス会誌は途絶えていた。ところが、昨年の独遊会(そのクラス会の名称)総会の折、卒業50年を記念して、「うてな第2号」を発行しようということになり、よせば良いのに、その編集、印刷その他の一切を、私が引き受けてしまった。その顛末などについては、いずれこのブログにも載せようかと思っているのだが、とりあえず、その「うてなⅡ」に私が書いたものを転載する。

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 「歌人・評論家」の弁       西中 眞二郎
 
 平成15年に一切の公職を退いてから、早いもので7年近く経過した。任期を残して退任したのには、いくつかの理由がある。最大の理由は立場を離れて自由にものが言いたくなったということであり、それと並ぶ理由は、65歳を過ぎてまで役所の傘の下にいることを潔しとしないという気持も働いたということだ。
 辞めた後かなりの間、パソコンで作った名刺で、「歌人・評論家(いずれも自称)」という肩書を使用していた。見栄を張ると同時に、照れ隠しに括弧書きで補足したということなのだが、著書も5冊刊行しているので、あながち嘘というわけでもない。

 最初の著書は、内閣法制局に出向していた40歳過ぎのころ刊行した「市町村あれこれ」という本である。こどものころから地理好きで、市町村の合併や人口の推移に興味を持っていた。いわばそれを集大成したのがこの本だったのだが、あまり売行きは良くなかったようだ。その後平成16年に「市町村盛衰記――データが語る日本の姿」(出版文化社)という本を刊行したが、これは前著のデータを更新し、内容をかなり充実させたものだ。一部ではかなり高く評価され、私自身もこの国の100年近い変化を、国勢調査という切り口から立体的に分析したかなり意味のある本だと自負しているのだが、これまたあまり売れなかったようだ。

もう一つの大きな道楽は、短歌である。中学生のころから唯我独尊の短歌を続けているので、長さだけは誇るに足りるものであり、駒場時代、「うてな」にも「雨の日曜日の午後」と題して、何首かの短歌を載せた記憶がある。その後も細く長く続けていたのだが、昭和62年に通産省を退官した際、それまでの短歌をまとめて、それに勝手な説明めいたものを付けて、「前半生――自歌自注」を刊行した。私にとっての第1歌集とでも言うべきものだ。その後、第2歌集「春の道」(砂子屋書房)を、平成15年に刊行した。その中の1首が、朝日新聞大岡信さんが連載しておられた「折々のうた」で紹介されたのは、望外の幸せとも言うべきものだった。

覚めてより耳に離れぬ唄のあり そがまた実に下らぬ唄にて

という作品で、その後岩波新書にも転載されたし、角川書店の「短歌」という雑誌で「なるほど短歌」という特集記事が組まれた際には、その典型として紹介された。大袈裟に言えば、短歌の一つのジャンルの代表という名誉ある地位を占めたとも言えそうだ。ところで、この「実に下らぬ唄」というのは、駒場のころに覚えたY歌である。そういった意味では、独遊会の諸兄ともあながち無縁ではない。ずっと忘れていたメロディーが、平成3年6月17日の朝、突然耳に浮かんで離れなくなったのである。たしか良く晴れた朝だったと記憶している。

 もう1冊は「日本語」の本である。「写研」という会社が主催している「日本語と遊ぼう会」という一種の日本語学力コンテストで、平成2年に第1位となり、その御縁で「漫談教養講座・日本語あれこれ」と題して、渋谷のジァンジァンで漫談らしき一席を演じたこともあるのだが、それやこれやをベースにして、平成17年に「日本語雑記帳――ことば随筆」(新風舎文庫)なる本を刊行した。肩の凝らない面白い本だと思っているのだが、あいにく一昨年のはじめに出版社が倒産してしまったので、これまた今後の売行きは全く期待できない。

 「次の出版の予定はあるのか」とのお尋ねを受けることもたまにはあるが、「やりたい気持はあるが、本を出すたびに金がかかり、老後の生活に響いてもいけないので・・・」とういうのが決まり文句の答である。そうは言っても、短歌の在庫も大分貯まったし、最近の平成大合併で市町村の姿も大きく変わって来たので、そろそろ考えてみようかなという気持も捨て切れずにいる。
 以上露骨なPRになってしまったが、老人の身勝手な自慢話ということでお許し頂きたい。(22年4月刊行「うてなⅡ」所収)

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 私のエッセイは以上の通りだ。「うてなⅡ」は、30数名の原稿が集まりまずは好評だった。そこまでは良いのだが、先日の総会の折に「3号も出そう」という話になり、性懲りもなくまたまた発行を引き受けてしまった。元来気の多い方だし、それに暇な身でもあるので、老化防止のためのボランティアとしては、悪くない話なのかとも思っているところだ。