編集後記(大学クラス会誌より)

 一昨日のブログに、大学のクラス会誌のことを書いた。その際、その顛末についてはいずれ何か書きたいという趣旨のことを書いたので、その顛末の説明に代えて、「うてなⅡ」の編集後記を転載することにしたい。



                編集後記


 昨年4月初頭に独遊会会員各位にお出しした原稿依頼文をまず掲載して、この小冊子の趣旨の御説明に代えたい。

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 先般の独遊会例会の折、来年が卒業50年に当たることを記念して、駒場の頃に作ったクラス雑誌「うてな」の第2号を作ろうとの話が出、もののはずみで、鴨下氏のお助けを頂きながら私(注:西中)が編集その他の労務提供に当たることになってしまいました。
つきましては、下記により会員各位の原稿を頂戴致したく、よろしくお願い申し上げます。
                       記

テーマ:「その後の50年」というのが一案ですが、これにこだわる積りはなく、「来し方・行く末」、「駒場の思い出」その他何でも結構ですから、ご自由にお書き下さい。文章、詩歌何でも結構ですし、題もご自由にお付け下さい。
枚数:原則として1,200字程度を上限としますが、厳密なものではありません。
原稿の体裁:メールの添付ファイルでお送り頂ければ、編集者の作業軽減のためには一番ありがたいのですが、こだわる積りはありません。手書きの場合でも時間的余裕を頂ければ、私がパソコンに入力致します。出来上りは横書きにする積りですが、原稿は縦書きでも何とかなると思います。
原稿提出期限:本年9月末(かなりサバを読んだ期限ですから、一応のメドとお考え下さい。来年の例会の折にお渡しする積りにしております。)


 経費節減のため、外注せずに私の手作りにする積りであり、私のパソコン能力も高いレベルにはありませんので、あまり立派なものは期待しないで下さい。それではよろしくご協力のほどお願い致します。


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 以上が会員諸兄にお願いした趣旨だ。


 「3号雑誌」という言葉があるようだ。3号まで出た段階で廃刊になってしまい、長続きしない雑誌の典型らしいが、われらが「うてな」は、それよりも遥かに寿命が短い「1号雑誌」だった。それから53年経って、いよいよ「第2号」の刊行である。そういった意味では、逆に長さを誇っても良い「2号雑誌」なのかも知れない。なお、第1号の発行は昭和32年7月12日、編集は鴨下恭明氏、表紙は松本吉平氏によるものである。


 編集の過程で迷ったこともいくつかある。
 1,200字というメドを大幅に超えた原稿を何人かの方から頂いた。いずれも「ご迷惑でなければ・・・」といった類のコメント付きで、遠慮勝ちにお寄せ頂いたものなのだが、著者のご苦労の産物でもあり、原則としてそのまま掲載することにした。ただ、メドを忠実に守られた方と不公平になってもいけないと思い、その後皆様に、「長い方もおられるから、字数の上限は弾力的に」という趣旨をあらためてお知らせした。


 当然のことではあるが、編集に当たっては、全体を通じ原文に忠実に印刷することを原則とした。(印刷用原稿は、すべて執筆者に再チェックをお願いした。なお、誤記らしき部分をはじめ、執筆者に確認して修正したケースもいくつかはある。)
 ついでに申し上げれば、この一連の作業で痛感したのは、パソコン、特にメールのありがたさである。パソコンという文明の利器がなければ、素人がこのようなものの製作に掛かれなかったことは当然だろうが、メールによる送稿にも随分助けられた。メール以外の原稿の場合、私のパソコンにインプットし直す必要があるのは当然だが、他人の書いた文章を、句読点、送り仮名まで正確にインプットするのは、自分が文章を書くより遥かに神経を使う。それに引き換え、メールの添付ファイルで届いた原稿は、そのまま印刷用テキストにコピーすることができるから、そのような手間がかからないというメリットは、予想以上に大きかった。


 もう一つ、掲載の順序にも少々迷った。「アンバシ、アガツマ・・・」という「出席番号順」というのも芸のない話だし、提出順というのも余り感心しない。編集者の主観を入れるのも好ましくないだろう。結論として、原稿の短い順ということにしたのだが、これとて、さしたる根拠のある話ではない。ただ、長いものがはじめの方にあっても全体をお読みになりにくいのではないかという気持もあり、苦し紛れにそのような選択をした次第だが、まとめてみた結果としては、必ずしも悪くはないという印象を持っている。


 表紙には、第1号の表紙を小さく入れることにした。また、9月末という締切りは、もともとサバを読んだものだったので、年末までに延長した。なお、提出漏れのないように、未提出の方には再度にわたり確認の連絡をした。
 

 多くの皆様のご協力のお蔭で、33名の方の原稿が集まり、この「第2号」がまずは日の目を見ることが出来て、勝手に編集その他の労務提供を引き受けた私としては、やっと一息ついたというところだ。このような大量の印刷ははじめての経験だったため、印刷の過程でいろんな機械的トラブルが生じて難渋したことも何度かあったし、編集から製本まで手製のお粗末な出来だが、皆様にお目通し頂ければありがたい。それでは皆様お元気で健やかな老後をお過ごし下さい。(平成22年3月 西中記)(うてなⅡ所収)