駆込み寺(政府関係機関のあり方)(スペース・マガジン5月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。



    [愚想管見]  駆込み寺                 西中眞二郎


 若いカップルが新居で楽しそうに寛いでいる。最近良く目にするテレビのコマーシャルである。何のコマーシャルかと思ったら、「住宅金融支援機構」の融資のコマーシャルである。以前の住宅金融公庫らしい。政府関係金融機関が、なぜ高い費用を掛けて派手なコマーシャルをやる必要があるのか、それを見るたびに違和感を覚える。郵便貯金や簡易保険のコマーシャルも同様である。
 
 これらの機関が国民生活にとって重要なものであることは言うまでもない。しかし、公的機関のこれらの業務は、あくまでも民間を補完する性格のものだと思う。言い換えれば、困っている人や民間では適切な対応を受けられない人の駆込み寺という性格が強いものだと思う。駆込み寺は、常に広く門戸を開いておかなければならない存在ではあるが、民間と張り合って客引き合戦をしなければならないものとは思われない。
 もちろん、広く国民一般にその制度の概要を知って貰うための広報活動は必要だろうが、「ぜひ当社の制度をご利用下さい」という類の宣伝までする必要があるのかどうか。

 東京都政で大きな問題になった新銀行も同様である。聞くところによれば、行員にノルマを課して意欲的に融資先を開拓し、その結果多額の不良債権を抱えるに至ったという。中小企業のために積極的に融資すべきことは当然だが、それはあくまでも困った人のための「駆込み寺」という性格に徹すべきであり、民間企業を押しのけてまで顧客の拡大を図るべき性格のものではあるまい。

 たしかに、その組織自体の視点からすれば、その業務の拡大・充実、ひいては経営の健全化を図りたいという意欲が理解できないわけではないし、郵便貯金の限度額引上げの動きなどもその発想の一環なのだろうが、機関本来の目的を考えれば、機関自体の規模の利益等は副次的なものであり、基本は民間機関の補完に徹すべきものだと思う。経営の健全化のためにどうしても必要なものならば、国民全体に対するサービスの対価として、むしろ公的な資金による助成に期待しても良いのではないか。

 組織というものは、いったん生まれてしまうと、自己増殖を指向する本能がある。有能で意欲的な経営者であればあるほど、その傾向は強いのだと思う。民間企業はそれで良いし、それが社会・経済の活力にもつながって来るのだと思うが、政府関係機関の場合にはかなり性格が違うのではないか。

 以前の行政改革で、官庁の現業部門や特殊法人の多くが独立行政法人に衣換えした。「官から民へ」という流れに乗ったものなのだろうが、独立行政法人の業務には、企業と同じ感覚で「経営」して行くには適さない性格のものも多いと思う。それを、独立行政法人という名の下に、一律に「効率化」の方向に進めることが果たして適切な選択なのかどうか、私には疑問が残る。

 若い楽しそうなカップルのコマーシャルを見ながら、そんなところまで思いが広がってしまった。(スペース・マガジン5月号所収)