高給取り(スペース・マガジン8月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


     [愚想管見]   高給取り        西中眞二郎

 年間報酬が1億円を超える上場企業の役員の氏名が公表されるようになった。経済界には随分反対があったようだが、私は当然のことだと思っている。「1億円」ではまだ高過ぎる基準であり、5千万円くらいから公表しても良いのではないかとすら思う。
 我が国の役員報酬は他国に比べて低過ぎるという意見もあるようだが、とんでもない話だと私は思う。特殊な才能を持った人の報酬が高いことには異論はないが、企業の役員は組織の一員であり、その「業績」も組織によって支えられた面が大きいのではないか。その役員が一般社員とかけ離れた報酬を得ることを是認して良いのかどうか、私には大きな疑問がある。
 
 業績が好調で、株主や一般社員にも十分報いている企業ならまだしも、公的資金を導入した企業、リストラにより多くの従業員を路頭に迷わせた企業、無配や減配に陥っている企業などのトップが、平然として高給を食んでいることは、社会の公正という意味でも許せないことだと私は思う。あえて言えば、これらの企業や役員の良識を疑うのみならず、彼らはバランス感覚を欠いた「金の亡者」だという気すらしないでもない。
 確かに企業トップの責任は重いだろうし、苦労も多いだろう。しかし、政治家や官庁幹部、更には一般社員ですら、それなりに重責を負い、苦労していることは同様である。なぜ、企業トップの責任だけが重視され、高給を食むことが許容されるのか。個人的に面識のある企業トップの人々も多いし、それなりに立派な方も多いが、これらの人々とて、常識外れの高給を食むに値する能力や識見を持っているとは到底思えない。

 他方、官僚の天下りの議論などの際、「年収1千万円を超える高給」といった表現を目にすることも多いが、「1億円」とのギャップは余りにも大き過ぎ、評価の物差しが狂っているという印象を受けることも多い。独立行政法人その他の政府関係機関の役員に民間出身者を登用するというのが現在の風潮のようだが、この種の「天下り民間人」には、働き盛りの優秀な人は少ないとも聞く。重役になれなかった企業人の終着駅、あるいはもう「上がり」を迎えた重役の老後の隠遁ポストといったケースも多いようだが、このような官民の報酬の格差を考えると、さもありなんという気がしないでもない。そのような現状に目をつぶって、「官対民」という粗雑な論理で企業出身者を尊重するという風潮には、どうにも納得し兼ねる面がある。
 
 話は戻る。企業の給与自体を規制することは不可能だろうが、少なくとも所得税の累進度の強化は必要だと思うし、場合によっては、一定額を超える報酬については、税制上企業の損金算入を認めないという程度の荒療治をしても良いのではないかとすら思う。長年公務員として薄給に甘んじて来た身にとって、想像もできない「高給取り」に対する「ひがみ」根性がないとは言えないが、それにしても、利益を皆で分けるのではなく、無配・リストラの一方で巨額の役員報酬を懐に入れるという企業や役員に対して、腹立たしい気持を抑えることができない。(スペース・マガジン8月号所収)