過去形「し」の用例

 古語の過去形「き」の連体形「し」の用例について、少し調べてみた。

 
 前置きとして、なぜそのようなことを調べる気になったのか、いささか煩雑ではあるがまずご説明しておこう。
 今年3月2日のこのブログに、「遊人」さんという方からコメントがあった。コメントの趣旨は、題詠100首に対する私の投稿 につき、ベスト10首と「?」付きの10首を選ばれたものなのだが、「?」付きの10首の主たる理由は、古文の過去形「き」の連体形「し」についての私の用語法に対する疑問である。遊人さんからは10作品についてのご指摘があったのだが、以下の説明をご理解頂くために、その例として、とりあえず「千歳飴提げし子が行く狭き道今日は降らずに済みそうな昼」を挙げておこう。
 これに対し私は私なりの意見を申し上げ、遊人さんからまた御意見があり、更に私から再論した。以下要旨だけを私なりに整理してみよう。


遊人:「き(し)」は、自分が直接体験した過去の確かな記憶を回想するときに用いる語であり、これらの作品については、「完了・存続」を表す「り」(連体形は「る」)を用いたほうがより適切ではないか
西中:「き」が過去形であり、「し」はその連体形だということは承知している。ただ、厳密に「き=し」なのかどうかについては、私は違う語感を持っている。口語で言えば、「た」は過去形だろうが、「提げた子」は過去形とは限らず、「提げている」というニュアンスも含むのではないか。私の語感では、文語の「し」は口語の「た」に近い。
遊人:現代語の「た」は、単に「過去」を表すのみでなく、「完了」、「状態の存続」、「確認」など、幅広い(言い換えれば曖昧な)用法を持っている。しかし、その感覚で、厳密に用法を区別している古語(例えば「し」)に置き換えることに、私は違和感を覚え、安易な印象を受ける。言葉の使用については、助動詞に限らず、特に詩語の場合、拙速に走らず、一語一語を大切にした緻密な吟味が必要だ。
西中:たしかに、「古語」を厳密に考えれば、その通りなのかも知れないが、「し」の場合、私は「古語」を使っている意識は全くなく、「日本語」を使っている積りだ。あえて申せば「古語」の「し」が、時代とともに変容しているのかも知れないとも思う。したがって、「し」の用法をご指摘のような趣旨に限定しようという気持はない。なお、「き」は私の語感でもご指摘の通りであり、「き」の濫用と「し」の濫用(?)とは、性格の異なるもののように感じている。
 また、貴コメントで、「現代語の『た』は、幅広い用法を持っている」と述べておられるが、逆にそこまで言い切ってしまって良いのかどうか。例えば、「提げた人」には、「過去において提げ、現在も提げ続けている」というニュアンスがあるのに対し、「言った人」や「書いた人」の場合は、過去を表現しているだけであり、現在との継続はないような気がする。言い換えれば、動詞には、動作だけを述べるいわば一過性の動詞と、その継続も述べる継続性の動詞とがあるような気がする。口語の過去形「た」は、一過性の動詞の場合には「過去のある一点での行動」を述べているのに対し、継続性の動詞を連体形として使った場合には、それに加えて「その時点からの継続」も含まれている(少なくとも含まれている場合がある)と言えそうな気がする。
 文語の「し」の場合もこれと同様だというのが、私の語感なのではないかと思う。


 遊人さんと私とのやりとりの要旨は、概ね以上のようなことである。私の論旨に納得されたのか、あるいは私の頑固さに呆れてサジを投げられたのかは判らないが、同氏から3度目のコメントはなかった。なお、正確には本年3月2日のブログをご覧頂きたい。


 以上は、いわば前置きである。このようなやりとりがあったので、私の語感にある程度の自信は持ちつつも、あるいは私の語感がおかしいのかも知れないという不安も湧いて来たので、過去の用例を調べてみようと思い立ち、手許にあった「日本詩歌集・山本健吉編、昭和34年・平凡社」をざっと眺めてみた。一応全体に目を通したところで、その結果をご披露するというのが、今日の主題である。


遊人さんのご指摘に該当しそうな用例>

やすみしし我が大君の・・・(柿本人麻呂ほか多数):「やすみしし」というのは「大君」の枕詞のようだが、語形からすれば、「やすみす」という言葉の過去形「やすみしき」の連体形から来ていると言えそうな気もする。(古文に関する素養がないので、あるいは私の独断から生じた誤解かも知れないが・・・。)
里は荒れて人は古(ふ)りにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる(僧正遍昭
嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の千代のふるみち跡はありけり(在原行平
から衣きつつ馴れにし妻しあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ(在原業平
白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを(在原業平
おきてみむと思ひしほどに枯れにけり露よりけなる朝顔の花(曽根好忠)
ぬれそめし袖だにあるをおなじ野の露をばさのみいかがわくべき(建礼門院右京大夫
咲くとみし花の梢はほのかにてかすみぞ匂ふ夕ぐれの空(藤原定家
転び落し音して止みぬ猫の恋(高井几董)
みしぶつく植女の袖に夕月のやつれし影をあはれとぞ見る(加納諸平)
たのしみは空暖かにうち晴れし春秋の日に出でありくとき(橘曙覧)
まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり(初恋・島崎藤村
・・・野がくれ青き草に潜みて 花に埋めし味気無の身・・・(「筑波雲」より・横瀬夜雨)
咳き出でし子のあはれさに真夜中の屋うちはすべて咳とし聞ゆ(窪田空穂)
鶏頭の紅ふりて来し秋の末やわれ四十九の年行かむとす(伊藤左千夫
朝雲の散りのかすけさ秋冴えし遠嶺に寄ると見れば消えつつ(若山牧水
瀬のなかにあらはれし岩のとびとびに秋のひなたに白みたるかな(若山牧水
飲み飲みてひろげつくせしわがもののゆばりぶくろを思へばかなしき(若山牧水
夕暗し外よりいり来し妻のからだ雑草の匂ひおびただしくて(前田夕暮
のぼり来し丹生川上の石むらに雲の触りつつゐるをともしむ(斎藤茂吉
ひとねむりせし老の身が目をあきて寂しくなりぬ山の夜のあめ(斎藤茂吉
おとろへしわれの軆を愛しとおもふはやことわりも無くなり果てつ(斎藤茂吉
・・・朝明よりものにい行きて 帰り来し姉のみことの・・・(追悲荒年歌・釈超空)
現れし我を点じて山眠る(松本たかし)
ひさしく見てをりしとき軒の端のふかき曇りをよぎる鳥あり(吉野秀雄)


 同書にざっと目を通して拾った用例は、以上の通りである。結構あるとも言えるし、800ページを超える同書からすれば、かなり少ないとも言えそうである。もっとも、私が狙った用例に限らず、明らかに過去としての「し」を使った例や、そもそも動詞の連体形を使用している用例自体、結構少なかったような気もする。
 以上の用例のうち、果たして私の狙い通りの用例なのかどうかに疑問のあるものもある。例えば、藤村の初恋の場合、「まだあげ初めし」は、全体から見れば更に過去の話で、私の狙いの用例とは違うとも言えそうである。作品全体が過去形で、その中に更に以前のいわば「大過去」とでも言えるものがあり、これは大過去の「し」だと言えるような気もする。また、このほかにも、私の誤読で、遊人さんのご指摘に該当しないものもあるかも知れない。
 もっとも、私の作品に対する遊人さんのご指摘の中にも、これと同種のものに対する疑問の指摘もある。例えば、「南北を逆に描きし世界地図掲げし部屋を訪いしことあり」につき、「3回繰り返されている『し』の中で、適切なのは結句のみではなかろうか」との指摘があるが、その指摘に対する反証としては、初恋の用例も使用できるのではないかと思う。
 また、自作の話で恐縮だが、以前NHKのBS短歌で、「日を受けし黄の明るさよ公園の銀杏はすべて天指して立つ」という自作が、「銀」という題のベスト作品として田中槐さんの選に入ったことがあるのだが、少なくとも田中さんは、遊人さんのような疑問はお持ちにならなかったのだと思う。


 遊人さんの言われるように、「たる」にする方が無難(?)なのかも知れないとも思うが、それでは字余りになる場合もあり、重い印象になるので、字数にもよるが、私は軽い「し」で済ませている場合が多いような気がする。


 自説に固執しているように思われるかも知れないが、そういう趣旨ではない。これまで60年に及ぶ歌歴ではじめて受けた指摘であり、「これまでの60年間、自分勝手な語感に基づき間違った用語を使っていたのか」という深刻な反省材料を突き付けられたような気もしたので、私が間違っていたわけではないという反証が得られないものかという模索をしてみたのが、この調査結果である。少なくとも、私と同じような用法の先人がおられるということが一応言えるのではないかとも思い、ちょっとホッとしたところでもある。


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