里ごころ(スペース・マガジン11月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。実は、数年前にこのブログに書いたものの焼き直しなので、御記憶の方もおられるかも知れない。
 なお、明日から3日ばかり留守をするので、その間このブログもお休みさせて頂きたい。(そのくらい間が空いているのは珍しいことではないので、あえてお断りするまでもない話ではあるが・・・)


     [愚想管見]     里ごころ                   西中眞二郎


 数年前のことだが、朝日新聞の夕刊で、脚本家の市川森一さんの書かれたエッセイを読んでびっくりしたことがある。その市川さんのエッセイの骨子は、以下のようなものだった。
―――ラジオのなつメロ番組の対談で、母の記憶につながる自分の思い出の歌をリクエストした。ところがその曲名を覚えていない。いろいろ調べて貰った結果、北原白秋作詞・中山晋平作曲の「里ごころ」という歌だということが判った。―――
 それ自体は、別に驚くような話ではない。私が驚いたのは、市川さんのエッセイより更に10年以上前に福岡に勤務していたころ、福岡のラジオ局の「なつメロとあなた」という番組に出た際に全く同じ経験をし、しかも、それが全く同じ歌だったからである。

 ―――笛や太鼓に誘われて 山の祭に来てみたが 日暮れはいやいや里恋し 風吹きゃ木の葉の音ばかり―――幼時のノスタルジーを誘うようなこの歌は、後で知った話だが、北原白秋の母方のふるさとである熊本県南関町というところでの白秋の幼時の記憶を辿って、大正年代に作られたもののようである。
終戦の後、小学校2年生だった私は、韓国の京城(現在のソウル)から、母の郷里である瀬戸内海の周防大島に引き揚げたのだが、転入した島の小学校でのみんなの愛唱歌のひとつがこの歌だった。ところが、私はその歌を知らない。全く未知の世界に入り、知らない子ばかりの中で、知らない歌、しかも哀調を帯びたこの歌を聞くのは、いかにも孤独感をそそられるものだった。それだけに、私の心に残り、そのラジオ番組で「曲名は忘れたのですが」ということでリクエストしたわけだ。

 私の思い出話や仕事の話を含め、5曲を5日に分けての放送だったのだが、2日目の番組の際、「リクエスト曲の曲名は結局判らなかったのだが、どんな歌なのか」との質問があり、うろ覚えの歌詞で1番だけ歌ったところ、早速聴取者の方からの反応があって「里ごころ」という歌だということが判り、3日目の番組で、ダークダックスが歌っている「里ごころ」が放送されたというのが私の体験だ。

 市川さんのエッセイを読み、全く同じ体験に感激した私は、早速市川さんに、私の体験についてお便りし、番組の録音テープもお送りした。そのお便りの締めくくりに次のようなことを書いた。―――時期的にはかなりの開きがありますし、私がこの歌に巡り会えたのはまだ40歳代の後半でしたから年齢的にもかなりの開きがありますが、私の場合と全く同じ曲について、全く同じ経過、同じような心境等々にお触れになった記事を読ませて頂き、奇遇と申しましょうか、何かの御縁と申しましょうか、まことに感慨深いものを覚えました。ややオーバーに申せば、大の男2人を同じように振り回すとは、この歌に何かの魔力があるのではないかという気すらしないでもありません。―――

 市川さんからはご丁寧なお礼状を頂戴したが、市川さんもその「奇遇」に驚いておられた。そのお礼状によれば、市川さんも私と同様にその歌を「アカペラで」歌われて、同様に聴取者の方から連絡があったのだそうである。(スペース・マガジン11月号所収)