祖母の格言(スペース・マガジン12月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。



         [愚想管見] 祖母の格言               西中眞二郎


 「寝たに餅を換えらりょか」、寝床に入る前に祖母が良く言っていたセリフである。「餅を食うより、寝る方が幸せだ」という意味らしい。極論すれば、「眠りこそがこの世の極楽だ」とも言えるのだろう。もっともらしい蛇足を付け加えれば、明治10年代生まれの祖母の世代にとっては、「餅」が何よりの御馳走だったのだろうし、現実は苦労の連続で、寝床に入ることが苦労から逃れる唯一の方途だったということかも知れない。特に、彼女たちの若いころはそうだったのだろうと思う。それに続くセリフがまだある。「寝て食やなおええ」。「ええ」とは「良い」の意味であり、「寝たままで餅が食えればもっと幸せだ」ということなのだろう。
 先日その言葉をふっと思い出した。私はむしろ逆である。気ばかり多くてやりたいことがいろいろあるので、寝るのが惜しく、ついつい夜更かしをしてしまう。その反面寝覚めは悪い方で、起きるのは苦痛だ。宵っ張りの朝寝坊とは良く言ったものだ。「私は不幸な男だ。寝るときに不幸で、起きるときはもっと不幸だ。つまり、1日に2回不幸になる」と冗談めかして言ったことがあるが、ある程度それが事実でもある。


 祖母から聞いた記憶のある言葉はまだある。「1里行ったチンバにゃ追い付けん」。足の悪い人でも、1里先まで行っていればなかなか追い付くことができないという意味だが、単純にそれだけの意味なのか、それとも仕事や人生を含めての含蓄のある言葉なのかは良く知らない。


 「割合付けりゃ馬鹿でも賢い」、これも祖母から聞いた言葉だ。「あいつは割合賢いよ」という言い方は、愚か者に対しても通用するという意味だろう。「割合」という言葉が「思ったより」という意外性を含んでいるということなのだろうか。これらが「格言」と言えるのかどうかは判らないが、まあ広い意味での格言とも言えるのだろう。


 「格言」ではないが、祖母から聞いた言葉に「ちかよく」というものがある。字にすれば「地下欲」か「近欲」と書くのだと思うが、目先の欲だけに囚われた視野の狭い欲求で、かえって本人のプラスにならないという類の「欲」のことだろうと思う。先日辞書を引いてみたら出ていなかったのだが、「まともな欲求」とすら言えない「地下欲」が、昨今の世間では横行しているようにも思われる。


 私の郷里は瀬戸内海の周防大島であり、祖母はその島で生まれ育った。「祖母の格言」と同じ言葉をその後聞いた記憶がないところをみると、たぶん私の郷里かその周辺に限られたローカルな慣用句なのだろうと思う。このようなローカルな「格言」、このほかにもまだまだ全国各地にたくさん散らばっているのではないかという気がしないでもない。(現在では使用に躊躇を感じる言葉も文中に出て来るが、何分60年以上前の話だからご容赦頂きたい。)(スペース・マガジン12月号所収)