平成23年年賀状


 年頭に当たり、皆々様のますますの御健勝と御発展をお祈り申し上げますとともに、今後とも変わらぬ御厚誼を賜りますようお願い申し上げます。
[近況](1)昨年11月、第3歌集「古希前後」を北溟社から刊行致しました。(2)10年余り続けておりました郷里山口県の東京東和町人会の会長を退任致しました。社会とのささやかな接点が一つ減ったような気がしないでもありません。
 以上のほか、詳しい近況は、私のブログに記載しております。

          平成23年元旦                   西中眞二郎(毛筆にて署名)
                                    住所・電話番号(略)
                                  E-mail nisinak001@@ybb.ne.jp
                            URL http://d.hatena.ne.jp/nishinaka/ 

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  以上が今年の私の年賀状です。本物はもちろんタテ書きです。このブログを通して御面識(?)を頂いた皆様にも、この場を利用して、上記年賀状により新年の御挨拶を申し上げます。なお、親戚や共通の知人あてのものは家内と連名にしており、したがって文面も多少は違います。また、機械的に送られる迷惑メールを避けるため、このブログに記載したメールアドレスには「@」を一つ余計に記載しております。
文面はパソコン印刷ですが、宛名と私自身の署名は、数年前まではすべて筆で書いておりました。ひところは1,000通を超えておりましたし、現在でも600通近くにはなりますので、筆書きもいささか重荷になり、そろそろパソコンでの宛名書きに切り替えようかとも思い、実は3、4年前から、一部はパソコンによる宛名書きに切り替え、今年はほとんどパソコンに頼ることに致しました。高校生のころから毛筆による宛名書きを続けておりましたので、何だか手抜きをしたような「罪の意識」も感じております。
ところで、上記年賀状で、「詳しくは私のブログで」と書いておりますので、以下その「詳しく」を書かせて頂きます。
    <「詳しく」の中身> 平成23年1月1日現在


 早いもので、通産省を退官してから23年半、最後の職場の南関東自転車競技会会長の職を退いて7年半になりますが、まずは元気に、さほど退屈もせずに日を送っております。いろいろ気が多いものですから、自分なりに結構忙しくしていると申しても良いのかもしれません。
 ワープロ歴は長いものの、パソコンに切り替えてからは7年強、ブログをはじめてからは6年弱という初心者ですが、いまや、パソコンやブログのない生活は考えられないような状況でもあります。
 以下、年賀状の補足として、少々近況報告をさせて頂きたいと存じます。

(1)年賀状本体にも書いておりますように、昨秋11月に、北溟社から、「第三歌集・古希前後」を刊行致しました。やや詳しい内容は、11月7日付けのブログに記載しております。市販している本ではありませんので、宣伝はほどほどに致しておきましょう。
(2)私の郷里の「東京東和町人会」の会長を、11年間務めましたが、昨秋次の方にバトンタッチ致しました。「東和町」は、瀬戸内海で小豆島に次いで大きい周防大島の東端(したがって山口県の東端)の町で、平成の大合併で島内の4町が合併した結果「周防大島町」の一部になっているのですが、合併前の旧町人会は4町ともそのまま存続しているものです。
 その4町全体をカバーする大島郡人会という会もあり、昨秋亡くなった作詞家の星野哲郎さんが会長をしておられた時期もありましたが、このところ旧4町の町人会の会長が回り持ちで会長を勤めるルールになっております。このため一昨年から東京大島郡人会の会長も務めておりましたが、東和町人会の会長を退任したため、昨秋ほぼ自動的に退任致しました。大島郡人会は、明治時代から続いている歴史のある会ですが、町人会、郡人会ともに高齢化が進んでいるのが現状であり、それだけになかなかむずかしい問題も抱えております。次の会長に何とか無事にバトンタッチすることができて、ひとまず安心といったところです。
(3)昨年6月、上海万博を見るのが主目的で家内と中国に行って参りました。通産省入省50周年ということで、同期入省の仲間夫妻との団体旅行でした。やや詳しい感想などを7月17日のブログに書いております。
(4)「独遊会」という大学のクラス会(昭和31年に東大教養学部文科1類に入学し、L1・5Bという語学のクラスに属していた60名程度の会)を毎年1回開催しているのですが、一昨年春の会で、「卒業50年を記念してクラス会雑誌を作ろう」との提案があり、よせば良いのに、「編集から印刷製本まで、私がやろう」と引き受けてしまいました。結果はまずまず好評であり、「来年も作ろう」という話になったところまでは良いとして、またまた出しゃばって製作を引受けてしまいました。昨年は原稿集めと編集、年明け早々には印刷・製本に掛からなければなりません。家内の手も借りての結構大仕事ですが、もともと嫌いな話ではありませんので、楽しんでいることも事実です。それに去年の経験もありますので、何とかなるだろうと思っております。
(5)「津波予想図の表示 工夫して」が3月6日に、「消費税増税 並行して改革必要」が6月22日に、それぞれ朝日新聞の「声」に掲載されました。3月9日と6月22日のブログに転載しています。これで、「声」掲載は、ここ数年で12〜13回になりました。投稿マニアというわけではありませんが、言いたいこともいろいろあり、ついつい筆が走ってしまうのが正直なところです。
(6)「北原白秋顕彰短歌大会」という短歌の会が、白秋生地の福岡県柳川市の主催で毎年開かれていますが、昨年秋、私の作品が伊藤一彦氏選の地賞と参加者の互選の佳作に入選し、久々の九州行きの機会だと、柳川での表彰式に足を運んで参りました。入選作品は、
      「鬱」の字はまさしく鬱で 「黴」の字はいかにも黴で 長雨続く
というものであり、詳しくは11月9日のブログに記載しております。
 また、現代歌人協会主催の全国短歌大会で、穗村弘氏選の佳作第2席に入選しました。
   七十二になったというのは実は夢でまだ五十二だという夢をみた
という作品です。
(7)日立市で刊行されている「スペース・マガジン」というタウン誌に、「愚想管見」というコラムを持たせて頂き、毎月思いつくままに勝手なことを書いております。早いもので、去年で丸6年になりました。これもこのブログに毎月(10日前後)転載しております。
(8)五十嵐きよみさんという歌人の方が主宰しておられる「題詠100首」というネット短歌の催しに参加しているのですが、参加者の方の作品20,697首を勝手に順次選歌し、このブログに77回にわたって選歌集を掲載しました。また、その締めくくりとして、催しの終了後、全く勝手・気ままな試みとして、「題詠100首・百人一首」を作り、12月4日のブログに掲載しております。これも昨年で6年目になります。
(9)平成18年5月に刊行した「日本語雑記帳―――ことば随筆」(新風舎文庫)につきましては、千部弱増刷になったところまでは良かったのですが、平成20年早々に出版社が倒産してしまいました。もっとも、インターネットで検索しましたら、アマゾンあたりのリストには入っていますので、まだ流通はしているようです。(同書につきましては、18年の5月13日と8月5日付けのブログに、やや詳しく書いております。また、新風舎の倒産につきましては、20年1月3日のブログで触れております。)
(10)最後にザル碁の話になりますが、私の棋力は弱い4段といったところです。30年以上前、ある機会に福島の猛牛と謳われた宮下秀洋九段に打って頂いて3段の免状を手にしたものです。家内は私に4子くらいですから、級位の上の方といったところなのでしょうか。特別のことがない限り、ほとんど毎日2〜3局くらい打っていますから、局数だけで言えばギネスブック・クラスだと思いますが、お互いにあまり上達しているとも思えません。むしろ私の場合、家内との対局のお蔭で手が荒れて来ているのではないかという気がしないでもありません。家内との碁のほかに、プロの先生に打って頂く会にも、二つ参加しております。


 この1年の近況をやや詳しく申し上げれば、以上のようなことです。こうして整理してみますと、「余りたいしたことはしていないな」ということを、改めて感じます。細かいことまで言えばまだいろいろあったのかも知れませんが、とりたてて申し上げるほどのこともなく、概して「無為徒食」に徹しております。考えてみれば、この歳になれば、「夫婦ともに元気で、さほど変わったこともない」というのが何よりの朗報なのかもしれません。