男はつらいよ(スペース・マガジン2月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。以前このブログに書いたものに多少手を加えた部分もあるので、あるいは「これはもう読んだ」と思われる方もおありかも知れない。


[愚想管見]   男はつらいよ              西中眞二郎


 作詞家の星野哲郎さんが昨年11月に亡くなられた。星野さんは私と同郷であり、山口県大島郡東和町(数年前の合併により、現在は周防大島町)の出身である。東和町は、瀬戸内海に浮かぶ周防大島の最東端(したがって山口県の最東端)にある風光明媚な町であり、星野さんは、民俗学者故宮本常一さんと並んで名誉町民に選ばれている郷里の大先達である。町には星野哲郎記念館と宮本常一記念館が、並んで建てられている。
 合併により島内の4町は周防大島町に一本化されたが、合併前の4町の東京町人会はそのまま残っており、私は昨秋までの10年余東京東和町人会の会長を務めた。また、島全体を包括した東京大島郡人会もあり、これは明治年代から続く古い歴史を持つ会なのだが、数年前までは星野さんがその会長を務めておられた。現在では、4町人会の会長の回り持ちになっており、私もこの2年間会長を務めたのだが、そういった意味で、星野さんとはかなりの関わりがあり、先般の葬儀にも列席して、その席上でご披露された郷里に対する故人の深い思いに、あらためて感慨を深くしたところだ。
 ところで、3000を超える星野さんの作品の一つに「男はつらいよ」の主題歌がある。「男はつらいよ」と主人公の「寅さん」については今更コメントする必要もないだろうが、寅さんのユニークな人物像と作品全体を流れる温かさとユーモア、それに安心して見ていられる偉大なるマンネリズムがシリーズ永続の最大の理由だったのだと思う。特に登場人物の温かさ、中でも兄思いのさくらさんと、その夫のひろしさんの温かさが心に沁みる。ひろしさんが、困った存在であるはずの義兄を「兄さん」と呼んで温かく接しているところには、とりわけ頭が下がる思いがする。
 映画の観客は、その温かさにほだされる一方、「寅さんのような人物が自分の身内にいなくて良かった」と安堵する気持を持つような気もするし、その安堵感も、シリーズが長く続いた理由の一つなのかも知れない。
 寅さんシリーズは、当初からあんなに長続きする予定のものではなかったと聞く。そういった意味では予想外だったわけだが、予想外だったということの一つの証拠は、星野さんが作詞された「男はつらいよ」の歌詞にある。主題歌の1番は、次のような歌詞ではじまる。「俺がいたんじゃ/お嫁にゃ行けぬ/わかっちゃいるんだ/妹よ」。
 たしかに寅さんの存在は、さくらちゃんの縁談の支障になるだろう。だからシリーズのスタートの時点では、全く的を射た歌詞だったのだと思う。ところが、皆さん御存じのように、さくらさんはシリーズ開始早々にひろしさんという良き伴侶に恵まれ、その夫婦愛と家族愛もシリーズの柱の一つになってしまった。そう思ってみると、歌詞のこの部分は、シリーズ全体の流れには全くそぐわない。シリーズのほとんどの作品は、「俺がいたけど/お嫁にゃ行けた」のである。だから、これが計算外の一つの動かぬ証拠だと私は思う。
 その辺の事情を、作詞者の星野さんにぜひ伺ってみようと思っていたのだが、それが果たせないままに、星野さんは鬼籍に入ってしまわれた。(スペース・マガジン2月号所収)