大相撲の八百長(朝日新聞「私の視点」)

 今日の朝日新聞朝刊の「私の視点」に、私の投稿が掲載されたので転載する。


      大相撲の八百長   存廃問うのは行き過ぎ?

                   元国家公務員  西中眞二郎


 子どものころから相撲好きで、ここ40年ばかり各場所の星取表を整理し、力士別の成績の推移をまとめるなどしている。それだけに今回の八百長騒ぎには裏切られた思いだ。だが連日、マスコミのトップニュースになり、大相撲自体の存廃に響くほどの大問題であるかどうか、疑問も感じる。
 今回の事件は、犯罪関連で警察当局によって押収された資料が発端のようだ。八百長自体は犯罪ではないという。犯罪捜査のために得た警察情報は、捜査だけに用いることが原則であり、犯罪と無関係に公表されるのは守秘義務との関連で問題となり得るのではないか。「公益のために主務官庁に通報した」というのは理解できるが、その後の扱いを手放しで肯定してよいか、疑問の余地がないわけでもない。
 今回の八百長騒ぎが組織ぐるみのものであるのかどうか、相撲界全体の体質の問題とどこまで絡むのかといった問題はある。だが、冷静に考えれば、一部の不心得者が犯したルール違反に過ぎず、大相撲の存廃にまで波及させるのは行き過ぎという気がしないこともない。かつてプロ野球選手の八百長が問題になった際、「プロ野球の存廃」まで問うような取り上げ方はされなかったと思う。
 他方、相撲という競技の特殊性もある。大相撲はスポーツであると同時に神事といった性格も持つ。力士の丁髷(ちょんまげ)、化粧回しと土俵入り、行司の装束、部屋制度など、単なるスポーツとは言えない一面を持つ。勝った力士のガッツポーズが問題視されたこともあるが、大相撲は単純なスポーツではなく、一種の神事であり伝統行事でもあることを示しているのだろう。
 そして、スポーツの中で相撲ほど勝負の時間の短いものも、瞬発力に左右されるものもないだろう。一瞬のためらいや迷い、場合によっては相手方に対する瞬間的な思いやり?が勝負を左右することもあるだろう。また、1場所としてみれば15日間という長丁場であり、個々の勝敗の重さは全体から見れば比較的軽いものとなる。
 仕組まれた八百長はもちろん許せるものではない。だが、そのような微妙な競技であるだけに、真っ白だったものが突然真っ黒になったということとは、少し話が違うような気もする。春場所の中止をはじめ、当事者が深刻に受け止めることも、「けしからん」という世間の怒りも当然だが、いささか誇大な扱いになっているようにも思う。やや大げさに言えば、何か落ち度があれば突然、「正義の味方」が続々と登場し、寄ってたかって「悪者」を追及するという昨今の世相の表れのような感じすらしないこともない。
 いずれにせよ、落ち着いて観戦できる日が早く戻ってきてほしい。一人の大相撲ファンとしてそう願うばかりである。(2011年2月16日 朝日新聞朝刊所収)

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 記事は以上である。同紙の「声」にはこれまで10回以上掲載されたことがあるが、「私の視点」は、専門家か関係者の投稿が載ることがほとんどで、「無関係な野次馬」の投稿が載ることはめったにない。それだけに、「載らないだろう」と思いながら投稿したものが、思いもよらず掲載されたというのが正直なところだ。
 それに、この投稿の内容は、私にとっての「本線」の路線のものではなく、いわば「支線の引き込み線」のようなテーマだ。それだけに、「喜びも中くらい」という気がしないでもないが、まあ贅沢は言わずに、掲載されたことを素直に喜んで、皆様にご披露しておこうと思う。
 なお、投稿の場合の通例だが、投稿者の了解の上で文章は多少手直しされている。したがって本来のニュアンスや文体とは少し異なる部分などもあるが、ほぼ原稿通りと言って良いだろう。また、投稿したのは10日以上前なので(掲載が決まってから一部アップツーデイトに修正した部分はあるが)、その後の論評などに先を越されて、新味を欠いている部分が出て来たことは否定できないとも思う。