八百長・タニマチ・土左衛門(スペース・マガジン3月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。

 
   [愚想管見]  八百長・タニマチ・土左衛門             西中眞二郎

 
 大相撲の「八百長」が話題になっているが、相撲に関連して誕生した言葉はいろいろある。
 まず、当の「八百長」である。明治初年、関西出身の根本長造さんという方が、東京の両国界隈で八百屋を営んでいた。八百屋の長造さんだから、屋号は「八百長」。この方、囲碁が好きだったので、近所の相撲の年寄衆と良く囲碁を打っていた。ところがこの八百長さんが強いため、まともにやれば年寄衆は歯が立たない。そうなると年寄衆の御機嫌を損ね、八百長さんの商売にも響き兼ねない。そこで長造さん、大体勝負が一勝一敗になるように、うまく手加減したのだそうである。もっともこの場合、両者慣れ合いの「八百長」ではなく、長造さんの一方的な「無気力相撲」だったわけから、「八百長」の意味も、その後変わって来て現在に至ったのかも知れない。
 「タニマチ」という言葉もある。明治初期、大阪市の谷町(現在の中央区谷町)に、渡辺さんという福岡県出身のお医者さんがいた。歯医者さんだという説もある。このドクターが大の相撲ファンで、力士が診察や治療を受けに来ると、治療費も受け取らず、逆に御馳走したり一緒に飲みに行ったり、大いにサービスに努めたのだそうだ。もっとも、これは以前福岡在勤中に仕入れた知識なのだが、念のために今回ネットで検索してみたら、「萩谷義則さんというお医者さんだということが最近判った」とある。
 どちらが正しいのかは知らないが、いずれにせよ谷町在住の気前の良いお医者さんから生まれた言葉には相違なく、主として芸能人やスポーツ選手を連れて飲み歩いたり御馳走したりするという、いわばパトロンというか、スポンサーというか、そのような人のことを「タニマチ」と呼ぶようになったようである。
 もっと以前に生まれた「土左衛門」という言葉もある。言うまでもなく、水死体のことだ。江戸時代中期の享保年間、成瀬川土左衛門という力士がいた。この力士、大層な肥満体で、しかも筋肉質ではなく、青ぶくれしたような体型だったのだそうだ。そんなところから、水を含んで青ぶくれした水死体を見た人々が、「まるで成瀬川土左衛門のようだ」と思ったところから、この言葉が生まれたのだと言われている。お相撲さんならシコ名を呼ぶのが通常だろうに、なぜ「成瀬川」と呼ばすに「土左衛門」と呼んだのかは知らない。
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 いずれも気の利いた言葉であり、その発生自体、面白い話ではあるが、私にとってそれ以上に興味があるのは、これらの言葉がどのようにして定着し、百年を超える現在に至るまで生き延びているのかということだ。江戸時代や明治時代には、テレビや週刊誌はもちろんない。気の利いた言葉を作るだけなら、ある程度のセンスさえあれば可能だろうし、それを当時の出版物に載せるところまでは一応可能だとも言えようが、それがなぜ日本全国に広まり、現在まで生き延びているのか、本当に不思議な気がしてならない。(スペース・マガジン3月号所収)