「脱原発宣言」への疑問(スペース・マガジン8月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。このところ、同誌への私の寄稿は、原発がらみのものが多い。今回の事故を契機に、原子力発電に対する迷いが生じたのは私にとっても事実であり、原子力発電の必要性を声高に叫ぼうという気持はない。しかし、新聞紙上等でかなり安易とも思われる反原発脱原発論を目にするにつけ、自問自答の意味も含め、「それほど単純な問題ではないはずだ」という問題提起をしてみたくなるというのが、正直なところだ。


        [愚想管見] 「脱原発宣言」への疑問          西中眞二郎


 夏も本番を迎えたが、今年は例年にない不安がある。電力供給への不安である。原子力事故によってもたらされた本来の不安に加えて、菅政権の独走・迷走によってもたらされた不安要素も大きい。加えて、菅総理は、「脱原発路線」を打ち出した。
 菅総理の姿勢を評価する向きもあるだろうが、私はそうは思わない。この件に限った話ではないが、菅総理は、政府組織を無視し、あるいは敵視して、十分な検討や法的根拠もないままに、私見を安易に打ち上げる傾向がある。仮に「脱原発路線」が正しいとしても、それはこれまでの我が国の社会・経済構造を大きく変える路線であり、衆知を結集して総合的な検討を必要とする重大な路線変更である。
 確かに、危険性がない方が良いことは明らかである。しかし、市民運動家や評論家ならその点に焦点を絞ることも是認されるだろうが、一国の運命を担っている為政者として、総合的な検討や判断もないままに私見が突出することが適切だとは思えない。また、短期的な問題としては、唐突に浜岡原発の停止を要請し、更に「ストレステスト」なる新しい物差しを持ち出して、定期検査中の原発の再稼働に結果的にストップを掛けるといった、超法規的独裁者とでも呼ぶべき行動に出た。
 事故の可能性を気にする余り、電力の安定供給というもう一つの重要な要素を軽視しているとしか思えない。今回の事故を受けて、我が国エネルギー構造のあるべき姿を見直すのは当然のことだと思う。しかしそのためには、これからの我が国のあるべき姿や、世界のエネルギー需給その他についての深い洞察に基づく総合的な検討が必要とされよう。また、仮に「脱原発」という結論が得られたとしても、その際国民生活への悪影響を避けつつ軟着陸するための対策が講じられることが必要だと思う。
 安全がすべてに優先するという考え方は、たしかに理解しやすい論法であり、いかにも人命を尊重した考え方のように見える。しかし、現在定期検査中の原発の再稼働を認めない場合、この夏に節電を強いられることは間違いないし、仮に停電等が起きた場合、国民生活や国民経済に大きな支障を来たし、更には人命に影響する事態を招く公算も決して小さくはない。早い話、節電のために熱中症になって命を落とした人も、既に何人か生じているのではないかとすら思う。長期的観点は別として、少なくともこの夏に関する限り、再稼働を認めないという路線は、国民により大きい負担と危険を強いる路線だと思われてならない。
 「安全神話」はたしかに崩壊した。原発の危険性が顕在化したことは事実だが、津波等に対する応急策も一応講じられており、以前より危険性が増大したということではないはずなのに、いまや逆の「危険神話」が誕生して来ているような気がする。「脱原発」は、あるいは正しい選択なのかも知れないが、菅総理の個人的な見解によって左右されるべきものでないことは当然だし、国民生活や国民経済への目に見える悪影響を避けることも、為政者として当然あるべき視点だと思われてならない。(スペース・マガジン8月号所収)