陰謀史観(スペース・マガジン9月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。このところ福島原発事故関係の感想を同誌に何度か書いている。福島事故以来、私の考え方にもブレが生まれているのだが、「嫌原発」という傾向が強い昨今の論調とは一味違う小論も意味があるかとも思い、「嫌原発」との違いをあえて強調し過ぎているきらいがあるのかも知れない。


[愚想管見]   陰謀史観                西中眞二郎

 「陰謀史観」という言葉がある。多くの歴史はなんらかの陰謀によって動かされていると見る史観のようだ。例えば、さまざまな世界的事件がユダヤ人やフリーメーソンの陰謀によって起こされたものだとか、太平洋戦争はルーズベルト大統領の陰謀だとする見方などが典型的なものだろう。本能寺の変の背後に豊臣秀吉徳川家康の策謀があったとする説なども、一種の陰謀史観だと言えそうだ。
 世界各地のテロ行為をアルカイダに結び付けるのも一種の陰謀史観なのかも知れないが、この場合は、事実によって裏打ちされたものも多いのだろう。考えてみれば、犯罪の捜査の場合なども、多くの場合はある「仮説」に基づいて捜査を進め、それを立証して行く場合が多いのかも知れない。他方、「大量破壊兵器」の存在を前提としたアメリカの対イラク攻撃は、陰謀史観に踊らされた結果だとも言えそうである。
 「陰謀」の存否を確認することは、困難な話だ。「陰謀」の黒幕や関係者が陰謀を認めることは稀だろう。また、陰謀に「踊らされた」人々は、多くの場合、陰謀に踊らされたとは思っておらず、自分の意志で行動したと思っているのではないか。それだけに、「陰謀」の存在自体の立証と同時に、それが事実無根だということを立証することも至難の技となり、半信半疑のままに「陰謀史観」が生き延びることになる。
 原子力発電を進めて来た政府や学者は電力会社に踊らされて来たのだという見方も、最近良く目にするところだが、これも一種の陰謀史観のような気もする。私自身、原子力発電の必要性を認めて来た側に立っていた人間だが、その判断が正しかったかどうかは別として、電力会社に踊らされていたとは毛頭考えていない。しかし、「それは思慮が浅かったためで、ことがらの本質を見抜く眼力を持っていなかったせいだ」と決めつけられてしまうと、客観的にそれを否定することは、極めてむずかしい話になってしまう。
 この夏の節電騒ぎも電力会社による戦略だという説もあるようだが、これも一種の陰謀史観に立った見方だという気がしないでもない。橋下大阪府知事の一連の発言もそうだし、七月末の朝日新聞夕刊の「素粒子」というコラムの、「この夏、妙な盆踊りをはやらそうとする人たちがいる。やぐらの上で声張り上げる電力会社。歌うはフソク音頭。取り巻き企業やメールで集められたサクラが輪になって合いの手を入れる。ネアゲ、テイデン、カイガイイテン。・・・」という痛烈な皮肉の類も同様だと思う。
 単なる私見ならともかく、権威も良識もあるはずの立場の人々が、国民生活を真剣に考えている積りの人々を、「陰謀史観」に基づいて一刀両断に切って捨てるというところまで進んでしまうと、公正な世論の形成に支障を来たすことも危惧される。もっとも、これらの説は「陰謀史観」ではなく、ことの本質を見据えた正しい認識なのだという可能性がゼロではなく、私の方が「陰謀」に踊らされている愚かな人間だと言われれば、これを完璧に否定するのもむずかしい話ではあるが・・・。(スペース・マガジン9月号所収)