メールと電話(スペース・マガジン10月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。このところ比較的重い話が続いたので、少し軽い話に戻そうと思って書いた。

 
  [愚想管見]メールと電話            西中眞二郎

 このところ電子メールに頼ることが多い。この原稿もメールの添付ファイルで送信しているのだが、送り手たる私にとって簡便であるだけでなく、印刷する側にとっても入力の手間が省けるし、何よりもミスプリを気にしなくて済む。それに、通常の連絡の場合、時刻や相手の都合を気にしなくて済むし、多くの人に一度に連絡できるメリットも大きい。 もっとも、良いことばかりでもない。メールアドレスを持っていても、めったにパソコンを開かない人もいるようだ。それに、携帯電話によるメールの場合、小さい画面に少しずつ表示されるわけだから、受信・発信ともに、文章の細かいところまで神経が行き届かず、誤解したりされたりといった場合も出て来そうである。
 メールしたのに返事が来ないで、イライラすることも多いが、考えてみればそれは当方の我儘だとも思う。手紙ならその往復に数日掛かるのは当然だし、それにすぐに返事を書くとも限らない。とすれば、メールの場合も同じことのはずで、返事が数日後になっても何の不思議もないはずなのだが、送った側としては、数時間後には返信があるものだと思い込んでいることが多いような気がする。逆にこちらがメールを受けた場合、すぐ返事を書かないといけないような義務感に駆られてしまう。メールの場合、手紙よりむしろ電話の感覚に近いのだろうか。
 話は電話に変わる。電話は、こちらの都合などにはかかわりなく、突然訪ねてくる不作法な訪問者という一面を持つ。セールスなどの招かれざる客はもとより、熱心にテレビを見ているときに掛かって来た電話などは、たとえ親しい人からのものでも疎ましく思うこともある。何かの事情で電話に出るのに時間が掛かってしまい、慌てて出たときには切れてしまうというケースも多い。たいした用件ではないだろうと思いつつも、切れた電話は何となく気になるものである。だから私は、個人の私宅に電話するときは、ベルを二十回近く鳴らしてみるようにしている。しかし、考えてみれば、電話の相手はその私の習性をご存じないわけだから、あわてて電話に出ようとして転んで怪我をしないとも限らない。そんなことを考えていると、電話を掛けるのがいよいよ億劫になってしまい、メールやファックスに対する依存度がますます高まって来る。
 役所勤めのころ、他の省庁との調整に難渋した経験は多い。何度も足を運び、あるいは逆に足を運んで貰って、お互いの立場を主張する。それを繰り返しているうちに、お互いの間の理解が深まり、互いに友情めいた気持を抱くようになれば、一件落着は間近である。ところが、各省調整の進め方も随分変わって来ているようで、最近ではメールによるやりとりが多いと聞く。顔も知らず、声さえ聞いたことのない相手とのパソコン上での論戦ともなると、妥協しようという気持が互いに湧いて来るとは限らない。事務の合理化という面では進歩なのだろうが、各省庁が自分のタコツボの中に入ってしまって、相互の調整に齟齬を来たすという面も否定できないのではないかとも思う。
 メールが便利なものであればあるほど、両刃の剣という気がしないでもない。
 (スペース・マガジン10月号所収)