平成24年年賀状

 年頭に当たり、皆々様のますますの御健勝と御発展をお祈り申し上げますとともに、今後とも変わらぬ御厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

[近況]さしたる変化もない日常ですが、年齢相応にまずは元気に日を送っております。幸い大震災の影響はなかったものの、それまでと時間の流れが変わって来たような一種の虚脱感めいたものも味わっておりましたが、良かれ悪しかれいつのまにか平常の感覚に戻って参りました。なお、詳しい近況はブログに記載致しております。

  平成24年元旦                 西中眞二郎(毛筆にて署名)
                          住所・電話番号(略)
                       E-mail nisinak001@@ybb.ne.jp
                  URL http://d.hatena.ne.jp/nishinaka/ 

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  以上が今年の私の年賀状です。本物はタテ書きです。このブログを通して御面識(?)を頂いた皆様にも、この場を利用して、上記年賀状により新年の御挨拶を申し上げます。なお、親戚や共通の知人あてのものは家内と連名にしております。また、機械的に送られる迷惑メールを避けるため、このブログに転記したメールアドレスには「@」を一つ余計に記載しております。
 以前から申し上げておりますように、宛名と私自身の署名は、数年前まではすべて筆で書いておりましたが、筆書きもいささか重荷になり、宛名については、3、4年前から一部はパソコンに切り替え、今年はほとんどパソコンに頼ることに致しました。高校生のころから毛筆による宛名書きを続けておりましたので、何だか手抜きをしたような「罪の意識」も感じております。
 ところで、上記年賀状で、「詳しくは私のブログで」と書いておりますので、以下その「詳しく」を書かせて頂きます。
    <「詳しく」の中身> 平成24年1月1日現在

 早いもので、通産省を退官してから24年半、最後の職場の南関東自転車競技会会長の職を退いて8年半になりますが、まずは元気に、さほど退屈もせずに日を送っております。いろいろ気が多いものですから、自分なりに結構忙しくしていると申しても良いのかもしれません。
 ワープロからパソコンに切り替えてから8年強、ブログをはじめてから7年弱というパソコン歴ですが、いまや、パソコンやブログのない生活は考えられないような状況でもあります。
 以下、年賀状の補足として、少々近況報告をさせて頂きたいと存じます。

1 3月11日の大震災は、かなりの揺れを経験しましたが、飾り棚の上の花瓶が落ちて壊れた程度で、特段の被害はありませんでした。それにしても、思いもよらない大災害で、われわれの生活、さらには人生が脆弱な基盤の上に立っているという現実を痛感しました。その際の我が家の状況は、3月13日のブログにやや詳しく書いております。
 なお、後述のスペース・マガジンの「愚想管見」に、主として福島原発の事故に関連した小論を、何度か載せております。

2 5年に一度の国勢調査の結果の整理や分析が私の最大の道楽で、著書も2冊あるのですが、昭和60年調査の結果を、当時まだ勤務中だった通産省の広報誌である「通産ジャーナル」に寄稿して以来、毎回同誌に掲載して25年が経ちました。平成22年10月の国勢調査の速報値が去年2月下旬に公表されましたので、また同誌にお願いしたいと思っていたのですが、残念ながら廃刊になったとのことで、今回はダメかと諦めかけていたところ、ある知人のご紹介を頂き、自治実務セミナー5月号(第一法規刊)に、「90%が市民になった――平成22年国勢調査覚書」というタイトルで掲載することができました。
 同誌の方針に従い、ブログに原文を掲載することは控えておりますが、2月25日と6月5日のブログにサワリだけを掲載しております。また、スペース・マガジンに掲載した関係記事を転載したものもいくつかあります。

3 「大相撲の八百長――存廃問うのは行き過ぎ?」が2月16日の朝日新聞の「視点」に掲載されました。この欄は、専門家や関係者の執筆によるものが多く野次馬によるものは少ないので、載ることはあるまいと思いながら投稿したものです。また、「料金転嫁は不当とは思わない」が6月2日の同紙の「声」に掲載されました。「声」掲載は、ここ数年で15回近くになりました。投稿マニアというわけではない積りですが、言いたいこともいろいろあり、ついつい筆が走ってしまうのが正直なところです。
 前者は、「大相撲の八百長騒ぎは大袈裟過ぎるのではないか」という趣旨のものであり、後者は「原発事故の補償は電気料金に転嫁すべきではない」という主張に対する反論です。2月16日と6月3日のブログにそれぞれ転載しております。

4「独遊会」という大学のクラス会(昭和31年に東大教養学部文科1類に入学し、L1・5Bという語学のクラスに属していた60名程度の会)を毎年1回開催しているのですが、一昨年春の会で、「卒業50年を記念してクラス会雑誌を作ろう」との提案があり、よせば良いのに、「編集から印刷製本まで、私がやろう」と引き受けてしまいました。結果はまずまず好評であり、「来年も作ろう」という話になったところまでは良いとして、またまた出しゃばって製作を引き受けてしまいました。このため、一昨年後半から昨年早々にかけて、少々忙しい思いを致しました。なお、それに載せました私のエッセイ「さまざまな岐路」は、4月2日のブログに転載しております。

5 日立市で刊行されている「スペース・マガジン」というタウン誌に、「愚想管見」というコラムを持たせて頂き、毎月思いつくままに勝手なことを書いております。早いもので、去年で丸7年になりました。これもこのブログに毎月(10日前後)転載しております。

6 五十嵐きよみさんという歌人の方が主宰しておられる「題詠100首」というネット短歌の催しに参加しているのですが、参加者の方の作品19,144首を勝手に順次選歌し、このブログに72回にわたって選歌集を掲載しました。また、その締めくくりとして、催しの終了後、全く勝手・気ままな試みとして、「題詠100首・百人一首」を作り、12月4日のブログに掲載しております。これも昨年で7年目になります。

7 私の郷里山口県の「東京東和町人会」の会長を11年間、同じく「東京大島郡人会」の会長を2年間務めましたが、一昨年秋次の方にバトンタッチ致しました。両会とも引き続き顧問を務めておりますが、お蔭様で「責任感」からは解放されました。なお、「東和町」は、瀬戸内海で小豆島に次いで大きい周防大島の東端の町で、平成の大合併で島内の4町が合併した結果「周防大島町」の一部になっているのですが、合併前の旧町人会は4町ともそのまま存続しているものです。

8 一昨年11月に「第三歌集・古希前後」を北溟社から刊行しましたが、昨年は新著の出版はなくおとなしくしておりました。なお、平成18年5月に刊行した「日本語雑記帳―――ことば随筆」(新風舎文庫)につきましては、千部弱増刷になったところまでは良かったのですが、平成20年早々に出版社が倒産してしまいました。もっとも、インターネットで検索しましたら、アマゾンあたりのリストには入っていますので、まだ流通はしているようです。(同書につきましては、18年の5月13日と8月5日付けのブログに、やや詳しく書いております。また、新風舎の倒産につきましては、20年1月3日のブログで触れております。)

9 最後にザル碁の話になりますが、私の棋力は弱い4段といったところです。30年以上前、ある機会に福島の猛牛と謳われた宮下秀洋九段に打って頂いて3段の免状を手にしたものです。目下の手近な碁敵は家内であり、家内は私に4子くらいですから、級位の上の方といったところなのでしょうか。特別のことがない限り、ほとんど毎日2〜3局くらい打っていますから、局数だけで言えばギネスブック・クラスだと思いますが、お互いにあまり上達しているとも思えません。むしろ私の場合、家内との対局のお蔭で手が荒れて来ているのではないかという気がしないでもありません。家内との碁のほかに、プロの先生に打って頂く会にも、二つ参加しております。


 この1年の近況をやや詳しく申し上げれば、以上のようなことです。こうして整理してみますと、「余りたいしたことはしていないな」ということを、改めて感じます。細かいことまで言えばまだいろいろあったのかも知れませんが、とりたてて申し上げるほどのこともなく、概して「無為徒食」に徹しております。考えてみれば、この歳になれば、「夫婦ともに元気で、さほど変わったこともない」というのが何よりの朗報なのかもしれません。