ハシズムの恐怖(スペース・マガジン4月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


      [愚想管見] ハシズムの恐怖      西中眞二郎
 
 橋下大阪市長は、いよいよ意気軒昂のようだ。「船中八策」を発表し、政治塾をスタートさせ、次回の国政選挙には維新の会から2〜300人の候補を立てると言う。その勢いを利用しようという下心からか、中央の各政党も維新の会を意識し、「大阪都構想」を検討対象に加える方向に向かっているようだ。
 「船中八策」や「大阪都構想」によって代表される彼の個別の政策について議論すればキリがない。同感できるものもそうでないものもあるが、ひとことで言えば、さまざまな脈絡のない思い付きを、並べ立てているに過ぎないような気がする。
 ハシズムという言葉も生まれたようだ。目下のところ一自治体の首長に過ぎない彼の虚像に怯えることは適当でないとは思うが、選挙と大衆受けしか眼中にない諸政党が、票欲しさに彼にすり寄り、その虚像を実体化させることが怖い。また、閉塞感が強い現在の世相の中にあって、威勢の良い改革論に踊らされて英雄待望論が生まれて来ることも怖い。橋下さん自身の狙いや思惑を超えて、彼が危険な存在になることを危惧するのだ。
 それのみならず、彼自身にも危険な要素は多々ある。選挙に勝った以上自分はオールマイティーだといった唯我独尊的な思い上がり、更には強圧的な言動が目に付くし、相手の言い分を傾聴するという謙虚さや柔軟さを全く欠いている人物のように思われてならない。この点は、あるいは弁護士という彼の職業とも関係があるのかもしれない。弁護士は、通常の場合、自分の側に有利になる点を主張し、相手側の主張は極力論破しようとするだろう。双方が顧客のために最善を尽くすことが、裁判官による公正な判断につながることになるのだと思う。政治の場合「裁判官」に相当するのは選挙民のはずだが、選挙民の判断が下されるまでの間は為政者の判断がまかり通ることになってしまうという点が、裁判とは基本的に異なる。それに選挙民は、概して声の大きい方、威勢の良い方、単純で判りやすい方に軍配を上げがちな傾向があり、かつての小泉さん、橋下さんいずれも然りである。
 彼の著書の中で、民主党政権の弱点として、組織運営の経験がないことを挙げている。この点は私も同感なのだが、彼は、「自分は企業の社外重役の経験がある」ということを貴重な経験として述べている。「社外重役としての経験」を「組織運営の経験」として自賛することは、余りにも自分に甘い評価だと思われてならないし、彼の論理はそのような物差しで成り立っているものが多いような気がする。また、総論だけ掲げ、細部は「行政」に下駄を預けているケースが目につくが、各論が判らなければ総論の可否の判断がつかない場合も多い。現状の「改善」にサジを投げて、組織や制度の改革による「維新」に特効薬を期待する「制度信仰」も気になるところだ。
 そもそも、「維新」「船中八策」といった言葉を安易に使い、坂本竜馬を気取っているのは、論理や政策を超えた自己陶酔の産物だと思うのだが、それに酔わされて追随する人々の言動が私には怖い。「昭和維新」を標榜した青年将校たちの行動が軍国主義の抬頭につながったことも、忘れてはならないだろう。(スペース・マガジン4月号所収)