大飯原発と大阪市

 一昨日のこのブログに橋下批判の小論を転載したが、その補足を多少しておきたい。それは、橋下大阪市長に対する過大評価とでも呼ぶべきものの一例である。 


 大飯原発の再稼働につき、政府は、地元自治体に加え、関西電力の大株主たる大阪市の理解も求めようとしているようである。どうも良く判らない。
 もし私人の大株主が同様の主張をした場合、政府はその説得に当たるのだろうか。それは株主としての私的権限の行使に対する介入であり、政府が関係すべきものではないだろう。
 大阪市が公共団体だからかとも思うが、それは筋違いではないのか。大阪市関西電力の大株主になったのは過去の経緯に基づくものであり、政策的な主張をするために株主になったわけではあるまい。もとより、大阪市の立場から株主としての発言権を持つことは当然だが、大阪市の立場ということであれば、電力の大消費地という性格上、早期再稼働を主張してもおかしくないはずであり、今回の主張は、市の利害に基づくものではなく、市長の私的見解に過ぎないものだと思う。もとより市長も有識者の意見等を聴いてはいるようだし、純然たる私的見解とは言えないのかも知れないが、市長の独断による有識者会議は、やはり、私的見解を補強するものに過ぎないと思うし、そもそも大阪市が独自の見解を持たねばならない理由はなく、それ自体が市長の政策的判断に基づくものだと思う。

 したがって、大阪市の主張は、私人の主張以上に重視すべきものとは思えないし、政府が大阪市の理解を求めるという性格のものではないと思う。政治的得失は別として、純然たる筋論からすれば、無視して差し支えない性格のものだと思う。


 この件に限らず、橋下市長の存在を、政府も政党も意識し過ぎているのではないか。「虚像」に過ぎないはずの橋下さんを、皆が寄ってたかって実像に格上げしているような気がしてならない。