回文(スペース・マガジン5月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


        [愚想管見] 回文          西中眞二郎

 
 回文ということば遊びがある。上から読んでも下から読んでも同じになる言葉で、「新聞紙」、「ダンスが済んだ」、「竹藪焼けた」などは、お子さまでも御存じだろう。
 古くからある有名な回文に「長き夜の遠(とお)の眠(ねぶ)りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな」という短歌がある。ご存じの方も多いと思うが、この回文を枕の下に敷いて眠ると良い初夢が見られるというものである。古くから我が国は「言霊(ことだま)の幸(さき)わう国」と呼ばれているが、このような言葉遊びが古くからの民俗風習の中に生かされているということも、そのひとつの現れなのだろうか。あるいは、回文という「言霊」の一形態の中に、呪術的な要素も含まれているのかも知れない。
 近年亡くなられた推理作家に、泡坂妻夫さんという方がおられるが、この方は皆様ご存じのようにことば遊びの大家で、その作品にも「喜劇悲奇劇」という回文の題名のものもある。この「喜劇悲奇劇」の中では、章名も同様に回文でできており、最後の方に「私また咄嗟にさっと騙したわ」という回文の名台詞もあったように記憶している。
 数年前、宮城県作並温泉で回文の募集があり、その第一席が新聞に出ていた。「夜キスしながら、そのあとあなた見つめる目。罪だなあと、あの空悲し過ぎるよ。」少々無理なところもあるが、なかなかの傑作だと思う。

 ところで、「題詠百首」というネット短歌の会がある。五十嵐きよみさんという歌人の方が主催しておられる会なのだが、毎年はじめに100の題が示され、それを順を追ってインターネットで投稿するという趣向の会である。ここ8年ばかり私も参加しており、ついでに勝手な選歌と、終わった後で「百人一首」を作るというお節介をして、私のブログに載せているのだが、昨年の参加者の中に、すべての作品を回文で作るという難問に挑戦した方がおられた。さすがにかなり無理のあるものが多いが、100首のうち何首かは、普通の短歌としても通用しそうな作品であり、その力量とご苦労に感服したところだ。作者のご了解を頂いた上で、いくつかをご披露しておこう。
[幻]続けざま咲く優曇華(うどんげ)の花奇しく那覇の幻灯草間避けつつ
[罪]億筋の蜜も似ている甘い恋まあるい手にも罪の雫を
[さっぱり]伊予の帰路舌にさっぱり残りおりこの利発さにたじろぎの宵
[酒]消さむとも火を灯ぼすかなバッカスが唾流すほど追ひ求む酒
[丼]消えた罪その後通り魔「カツ丼」と捕まり男望み伝えき
[摘]遠しあの夕白籠に摘む実食み陸奥に木枯らし冬の足音
[迫]瞳潤ませし乙女の吐息憂き 糸の目遠し迫る海と日
[味]回廊(コリドオ)で旨味(うま)し酒もて火を呼べよ 追ひても消さじ 舞うて踊り子
 いずれも冒頭の古典「長き夜の」に劣らぬ傑作だと思う。題を読み込まなければならないわけだから、そのむずかしさは倍加するだろう。作者は「保武池警部補」という方である。もちろん筆名だろうが、これまたちゃんと回文になっている。(スペース・マガジン5月号所収)
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 同誌に載せたのは以上だが、ついでにちょっと補足しておこう。上記の題詠百首の催しは今年も続いているが、「保武池警部補」さんは、「ありくし」さんと名を変えて、引き続き回文短歌を投稿しておられる。もっとも、今年は100首全部ではなく、回文短歌とそうでない短歌とが混在しているようだ。