無責任な首長たち(スペース・マガジン6月号)         

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


      [愚想管見] 無責任な首長たち         西中眞二郎

 石原東京都知事が、東京都による尖閣列島の購入構想を打ち出した。政府の弱腰を批判して、「政府に吠え面をかかせる」のだという。他方、少々古い話になったが、河村名古屋市長は、日中戦争時の南京大虐殺を否定する発言をして、中国との間に不要な摩擦を起こした。
 これらの言動に快哉を叫ぶ人もいるだろう。しかし、その見解に対する賛否は別として、地方自治体の首長の言動として適切なものかどうかには、大いに疑問がある。これらの首長たちは、国政に関して何の責任も負っていない人々である。全くの個人であればその言動は自由だろうが、彼らは地方自治体のトップとして、その地方自治体の運営に責任を持ち、都民や市民のために果たすべき責務を負っている。しかも大都市の長として、その影響力は極めて大きい。そのような人々が、自分が責任を負えないことがらにつき好き勝手な言動をとることは、容認すべきではないと私は思う。
 何らかの経緯があって、自説を述べざるを得なくなったような場合なら、まだ理解できる。しかし、以上の話は、いずれもその必要性や必然性もない局面における首長個人の勝手な言動に過ぎない。もとより、ご当人はそれらの点は百も承知の上で、自らの「正義感」に基づいて行動しているのだろう。しかし、自治体の首長という責任ある立場でのこの種の「正義感」は、無用の長物だとすら思う。もとより、地方自治体やその首長が政府と異なる見解を持つことは十分あり得る話ではあるが、それはあくまでも当該自治体の住民の利益のための視点からのものであるべきであり、住民とかかわりのない視点での首長の個人的見解によって政府に「吠え面をかかせる」ことは、地方自治体の首長としての正道だとは思えない。
 石原都知事尖閣列島発言を受けて、「大阪維新の会」では、大阪府議会や市議会でこれを支持する決議をしようとする動きもあるようだ。橋下大阪市長がどこまで噛んでいる話なのかは知らないが、石原都知事に対する私の批判は、彼らにもそのまま通用するものだと思う。橋下大阪市長の言動については、このコラムでも既に書いたので重複は避けたいが、船中八策にせよ、原発再稼働についての発言にせよ、自らが責任を持てないことがらについて、府民や市民の利害と一致するとは限らない意見を、求められてもいないところで声高に叫ぶという意味では、石原都知事と同根の病弊の持ち主だと思われてならない。
 これらの問題に限らず、また洋の東西を問わず、責任を持たなければならない立場の人は、まともな人であればあるほど、思い、悩み、妥協し、その結果その言動は、とかく歯切れの悪いものになりがちである。他方、責任を負わない立場の人々が威勢の良い言動で気勢を上げることは、至って簡単である。我が国を代表する大都市の首長が、いずれも責任を持てない分野で勝手な私見をふりかざす体質を持っていることを、どのように評価すれば良いのだろうか。国民の多数が、彼らの体質や威勢の良い言動に共感し、無責任に気焔を上げるような体質になりつつあるとは思いたくないところではあるが・・・。(スペース・マガジン6月号所収)

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 同誌に掲載されたのは以上だが、この中で原発再稼働についての橋下大阪市長の言動に触れているのは、現在の言動ではなく、再稼働反対を強調していた以前の言動についてである。月刊誌の場合、往々にして事態の変化について行けないのが難点だと思う。