石原都知事の退陣(スペース・マガジン12月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。実はこれを書いたのは先月中旬なので、賞味期限切れの感がないでもない。それに、昨日このブログに、共通項のあるものを書いてしまった。順序からすれば、今日の部をまずお読み頂いた上で、数日後に昨日の分をお読み頂いた方が良いのかも知れない。


 [愚想管見]  石原都知事の退陣                  西中眞二郎

 先月号の尖閣列島関連で石原都知事について触れたが、その石原さんの突然の退陣には驚いた。その理由がさっぱり判らない。任期途中で投げ出すくらいなら、前回の都知事選に出馬すべきではなかっただろう。国政への転身と言っても、その機会はこれまでにも再三あったわけだし、御老体の身で、この期に及んでなぜ唐突に国政に衣替えする気になったのかさっぱり判らない。ご本人には当然何らかの動機があったのだろうし、彼なりの正義感から出た話なのかも知れないが、はなはだ無責任な話でもある。
 尖閣列島に関しては、派手に花火を打ち上げて国に「吠え面」をかかせたのみならず、日中関係に多大な悪影響を及ぼし、その結果は国民経済や国民生活にも大きな影を落としている。また、オリンピックに関しては、巨額の費用を投じた以前の失敗にもかかわらずまた性懲りもなく手を挙げ、その結果を見ることもなく手を引くわけであり、無責任のそしりを免れまい。皮肉な見方をすれば、自らの罪の大きさに愕然として、恰好良い逃げ道を選んだと言えなくもないが、まさかそれほど気弱で良識的な人でもあるまい。
 都政自体に関しては、評価すべき点も多少はあるのかもしれないが、石原さんでなければ出来なかったような業績はさっぱり目に見えない。国旗国歌の強制によって代表される国粋的・強圧的な姿勢、当初からうまく行くわけのないことがはっきりしていた新銀行東京の失敗等々、勝手気ままな個人プレーは目に余るものがあった。しかも、その傲慢な姿勢に加えて、「非常勤知事」と揶揄されていたように、「都政」に対する責任感や情熱が希薄な執務態度等々、都知事としては全く不適格な人だったと思う。
 そういった個別の話以前の問題として、都知事としての基本的な適格性を全く欠いていたと思うのは、彼の憲法に対する姿勢である。憲法を尊重する義務は、公務員全体に課せられたものである。もとより改憲を唱えることは自由だが、その場合でも憲法に対して敬意を払うべきことは当然の前提であり、その憲法を軽視して無効論を唱える等、常軌を逸した思想の持ち主であることが、石原さんの本質を表していると思う。
 その石原さんが都知事の座を去ること自体は、私の目から見れば歓迎すべきことである。この上は、新しい都知事が石原さんの対極にあるような人であることを期待したいし、また、彼が進もうとしている国政の面では、「保守」勢力とすら呼べない「反動」勢力結集の核となって力を発揮することなく、静かに消え去って頂きたいものだ。
 少し厳しいことを書き過ぎたのかも知れない。都知事に四回も当選を重ねたということは、幅広い都民の支持を得ていたということではあるのだろう。その石原さんをまるっきり評価しないということは、私の独断と偏見による面もあるのかも知れないとは思いつつも、東京都民は何を考えてこのような知事を選んで来たのかと、改めて強い疑念を抱かざるを得ないし、今後多くの人々が石原さんやその同調者の威勢の良い無責任な言動に踊らされることのないよう、切望するのみである。
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 この原稿の出稿直後、衆議院の解散が決まった。どんな選挙になるかは判らないし、目下のところ私には支持できる政党は見当たらない。それだからと言って、いわゆる「第三極」が主導権を握るような事態だけは、ぜひ避けて欲しいものだと思っている。(スペース・マガジン12月号所収)