何が「民意」なのか(朝日新聞「声」)

 朝日新聞の「声」に投稿して、今日の東京版に掲載されたものである。原子力発電にいろいろ問題が多いのは事実だし、原発の必要性を声高に叫ぶ積りはない。ただ、「民意」「生命」などの「錦の御旗」の下に、一方的な主張が強く叫ばれることには異論があり、バランスのとれた議論が必要だと思い、先日投稿したものである。
 なお、掲載されたものは多少短縮されているが、ここでは私の投稿した原文を掲載する。


            何が「民意」なのか

                  (東京都練馬区)西中眞二郎(75歳・無職)
                                
 2月28日付けの本欄、「原発ゼロの民意を無視するな」を読んだ。安倍政権の原発容認の姿勢を「暴挙」と極め付け、「原発ゼロの民意」を裏切るべきではないというのがその要旨のようだが、この立論には異論がある。
 いったいいつどこで「原発ゼロ」という「民意」が決まったのだろう。選挙を経た政権交替により、自民党政権が復活した。政権を握れば何をやっても良いというものでないことは当然だが、前政権の政策をそのまま踏襲しなければならないというわけのものでもないだろう。確かに、「原発ゼロ」の旗の下に多くの人が結集したのは事実だが、それをどう評価するかは、意見の分かれるところかも知れない。また、その後の選挙により自民党が圧勝したのも、「民意」の一つの表れであることは否定できないだろう。
 論者によれば、「子どもたちの命を危険にさらしたくはない」ということのようだが、今後福島のような事故が起こる可能性は相当低いのに対し、電力の供給不安や電気料金の高騰は間違いなく起こって来る事態であり、それらに起因する国民生活への悪影響も無視できないものだろう。いずれの道を選択するにせよ、この両者をどのようなバランスで考えるべきかが大きな課題なのであり、論者のように一面的に極め付けるべきものではあるまい。