ネットと政治(スペース・マガジン8月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。なお、この稿の後半は、6月16日付けのこのブログに掲載したものと共通なところが多い。


   [愚想管見]   ネットと政治         西中眞二郎


 インターネットによる選挙運動解禁により、今度の参院選は初のネット選挙としても関心を集めているようだ。選挙の結果は、現時点の私にとっては知る由もない話だが、それはそれとして、ネットと選挙、更にはネットと政治の関係をどう考えるべきなのだろうか。
選挙に際してネットについての規制が緩和されたことは、当然の流れだと思う。ただそれだからと言って、選挙や政治におけるネットの存在を過大評価することには疑問がある。たしかに、ネットによって主張することは簡単だが、選挙公報や新聞記事、あるいはテレビ報道などによって得られる情報に比べて、内容的に優れているものだとは思えない。特に、フェイスブックツイッターなどの最近はやりのツールによる情報や主張は、概して短絡的で単純化された薄っぺらなものが多く、現在の複雑な世相を解明するための手法として、適切なものだとは思えないのだ。
 ネットによる政治的主張は、名もなき市民の政治参加の手法としては得難いものだと思うし、現にアラブの政治改革などでは大きな機能を発揮した。そういった意味では、今後も大いに期待できるものだとは思うが、公的な発言の場を与えられている政治家によるネットの活用をどう評価すべきなのか、私には今ひとつ良く判らない。発信する側から見れば簡便な手法なのだろうが、受け手の側がそれを情緒的に無批判に受け止めることになれば、弊害も生じ、政治や世論が感覚によって動かされてしまうことにもなり兼ねない。特定の外国人を排斥するような昨今のいわゆるヘイト・スピーチなども、短絡化、単純化によって齎されたネット社会と共通の現象のようにも思われるのだ。
 他に発信の手段を持っている政府・政党・政治家などが、自己の主張や宣伝のために安易にネットを利用することには、私は以上のような理由で批判的なのだが、最近最も目に余ると感じたのは、安倍総理フェイスブックによる発信だ。6月中旬のことだが、安倍総理はそのフェイスブックで、北朝鮮からの拉致被害者の帰国の際の外務省局長の対応を強く非難した。被害者をいったん北朝鮮に送還すべきだという局長と、送還すべきではないという当時の安倍官房副長官との意見の相違に関するもののようだ。そのときの事実関係の真相や選択の是非はさておき、私の安倍さんに対する大きな疑問は、その元局長に対して「外交官としての決定的判断ミス。彼に外交を語る資格はない」などと安倍さんが決めつけていることだ。
 ことの発端は、ある新聞の対談で、その元局長が安倍さんの外交姿勢に関して批判的な発言をしたことに対する反発のようだ。その反発の是非はさておき、その話とは全く無関係な過去の話を持ち出し、しかもいまは民間人であるその元局長の見識を全面的に否定するような姿勢は、一国を代表する総理の発言とも思えない。しかも、当時同氏は安倍さんと一緒に対応策を模索した仲間だったことを考えれば、なおさらのことだ。また、これに関する安倍批判に対し、更にフェイスブックで反論されたとも聞くが、いやしくも一国の総理ともあろうお方が、一介の市民と同じ軽さでネットに立ち向かって、国政そっちのけで思い付きに近い発信をされているという姿勢は、まるでマンガであり、安倍総理の見識や品格を疑わざるをえないし、ネット政治の薄っぺらさの典型のような気がしないでもない。(スペース・マガジン8月号所収)