内閣法制局の受難(スペース・マガジン9月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。なお、本文の末尾でもお断りしているように、先日朝日新聞の「声」に掲載された粗稿(先月9日のこのブログにコメント付きで転載)と同じ趣旨のものである。


[愚想管見]   内閣法制局の受難         西中眞二郎


 
 安倍政権は、これまでの慣例を破って、内閣法制局長官に外務官僚を任命した。関係ない市民の目から見れば、単なる役所の人事のように見えるかも知れないが、今回の場合はそうではない。安倍政権は、憲法改正を狙いとしつつ、現行憲法の下でもいわゆる「解釈改憲」によって集団的自衛権を認める姿勢を示し、現に、積極論者を中心とした有識者会議によりその正当化を図ろうとしている。これに対し、内閣法制局はこれまで集団的自衛権に否定的見解をとって来ており、このたびの人事は、内閣法制局の見解見直しを迫ったものだという意図が見えすいている。
 一般的な政策論であれば、人事面でも政権の考え方を貫くことは自然な姿なのだろうが、憲法解釈は政策論とは異なり、時の政権の恣意によって左右されるべきものではない。これまでの政府見解の積み重ねの上に、現在の憲法解釈は成り立っており、内閣法制局のこれまでの姿勢もその上に立っているものだと思う。今回の人事は、その権威や慣例を無視し、人事権の行使により力ずくで政権の意向に添わせるという権力的姿勢を露骨に示したものであり、簡単に容認できるものではない。
 内閣法制局というのは、一般には馴染みの薄い役所であるとともに、その性格も判りにくい面がある。組織としては政府の一員であり、憲法解釈に最終的な権限を持っている存在ではない。しかし、その蓄積と良識によって、各省から一目置かれる存在であり、歴代内閣もその見識を尊重して、これまで政府部内においては、確固たる権威を保持して来た。他方、「法に則って筋を通す」というその使命からして、なりふり構わぬ強引な改革やいわゆる「政治主導」には馴染まないところもあり、これまでにも、内閣法制局の受難とも呼ぶべき時期はあった。一つは、戦後の占領体制の時期であり、占領軍の指示に対して「筋を通した」対応をした結果、「占領政策に対する官僚勢力の反抗である」としてその組織は大きく改変され、職員も原則として入れ替えられたという苦い歴史がある。また、自衛隊誕生前後は、自衛隊違憲論も強く、これを肯定する内閣法制局は、野党や革新陣営からの「三百代言」、「法匪」といった強い批判にさらされたが、その後の時代の流れとともに、いまや「憲法の番人」という評価を受けるに至ったのは歴史の皮肉とでも言えようか。先般の民主党政権の時代には、「政治主導」の名の下に、ことさらにその存在を軽視しようとする動きもあった。政府の一員であるという制約の中で、時として政治的な流れに逆らって筋を通さなければならないという宿命を負っている存在であるだけに、政府部内の「歯止め」としてその存在に期待するところが大きいのだが、果たして今後どこまで筋を通せるのか、不安な気持を抱きつつ注視しているところである。
 実は私は、若手の課長時分に、参事官として4年ばかり内閣法制局に出向した経験があり、また、その後トップ要員として再出向の話もあったので、一市民としての感想に加えて、我が身に置き換えての問題意識も抱いているところだ。なお、朝日新聞の「声」に、先月同じような趣旨の投稿をして掲載されたので、一部重複している部分もあることをお断りしておきたい。(スペース・マガジン9月号所収)