地下鉄雑感(スペース・マガジン12月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。



     [愚想管見] 地下鉄雑感         西中眞二郎

 
 東京に住んでいると、地下鉄を利用することが多い。東京の地下鉄路線の総延長は300キロを超えているようであり、たいていのところへは地下鉄で行けるというのが最大の理由だろう。それだけ便利な乗り物なのだが、長いだけに路線が複雑で戸惑うこともある。あまり馴染みのない場所へ出向く場合など、経路の選択に迷うことも多い。後になって、「別の線を使った方がかなり早く行けた」と気付くこともあるし、地下鉄の駅からかなり歩いてやっと目的地に着いてみたら、そのすぐ近くに別の路線の地下鉄の駅があったといった経験も何度かある。
 会社勤めをしていたころ、オフィスが移転したことがあるのだが、同僚のお嬢さんが「通勤時間が短くなった」と喜んでいる。彼女の住所からすればむしろ不便になったはずなので、それまでの通勤経路を聞いてみたら、それまで随分遠回りで通勤していたことが判った。彼女の場合、ある路線に昔から馴染みがあったので、その路線を使うということが固定観念になってしまい、別の新しい路線を使うというアイディアが浮かんで来なかったらしい。もう一つ、会社に一番近い駅を下車駅だと思い込んでしまい、少し離れたところに別の路線の別の駅もあることに思い至らなかったということもあったようだ。「何年間も随分無駄な時間を使った」と彼女はぼやいていたが、それほどではないにせよ、似たような経験をした方も多いのではあるまいか。
 地下鉄の駅で降りて、前方と後方のどちらの階段を登れば良いのか迷うことも多い。地上駅なら周辺の景色などから見当の付けようもあるが、地下で頼りになるのは、方向感覚と案内板だけである。ところが、案内板が少なくて迷ってしまう駅が結構多い。「多分前方の改札のはずだ」と見当を付けてかなりの距離を歩いた挙げ句にやっと案内板に出くわし、逆方向に歩いていたことに気付いて慌てて逆戻りすることもたまにある。地下鉄のホームは、100メートル以上あるような長いものも多く、なぜ案内標示の数をもっと増やさないのかと腹立たしい思いをすることも稀ではない。
 東京の営団地下鉄は、数年前に「東京メトロ」と名前を変えた。それは良いとして、道路沿いの標識灯をはじめ、標示がみな新品になった。公私ともに貧乏暮らしを続けて来た私の目から見れば、「金に糸目を付けず贅沢をしている」という気がしないでもない。
 東京ではJRも私鉄も深夜まで運行している場合が多いが、地下鉄の場合、都心発の終電車が12時前に終わってしまう路線がほとんどだ。いつだったかギリギリのところで終電車に乗り遅れて駅員さんに苦情を言ったところ、「我々にも生活があります。夜中まで遊んでいる人のために働いているのではありません。」と切り返されたことがある。その駅員さんの対応は論外として、JRや私鉄よりずっと早い時間に運転を切り上げてしまうという地下鉄のダイヤは、深夜まで活動を続けている大都会の基幹交通としての使命を軽視しているのではないかという不満を感じないでもない。最近では終夜運転の構想もあるようだが、そこまでやる必要があるかどうかは、また別の話として・・・。(スペース・マガジン12月号所収)