安倍総理の靖国参拝

 平成16年の秋、以下のような内容の私の投稿が朝日新聞の「声」に掲載されたことがある(このブログにも転載済み)。
―――靖国参拝についての小泉総理の先般の国会答弁を、次のように要約しても良いだろう。(1)日本人として戦没者に敬意を払うことは悪いことではない。(2)したがって、それに対する他国の批判に従うことは疑問だ。
 この答弁には、いくつかの疑問がある。まず、たとえ大多数の日本人が靖国神社につき総理と同じような感覚を持っているとしても、それに不快感を持つ他人がおり、かつ、その不快感にある程度の理由がある場合、その他人の痛みに共感を覚え、それを尊重するということは、決して自分の立場を捨てることにはならない。
 加えて、ほとんどの日本人が靖国神社に対し総理と同じ感覚を持っているとは、私は思わない。神道という宗教形式のものであること、戦死者の慰霊という目的の裏返しとして戦争遂行のための手段として、更に言えば若者を死に追いやるための手段として利用されたこと、戦犯の扱い等々の理由から、靖国神社に関し総理と異なる感覚を持つ人も多いと思うし、私もその一人である。私の父は海軍軍人で靖国神社に「祀られて」いるが、父の慰霊と靖国神社とは、私の心の中では全く結び付いていない。
 総理答弁は、そういった意味で納得できるものではない。わが国の「国益」のためにも再考願いたいし、日本人がすべて総理と同じ感覚を持っているとは限らないという事実を御認識頂きたい。―――
          
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 以上は9年前の話である。御承知のように、その後、日中・日韓関係の修復には多大の時間と労力を要し、紆余曲折を経て現在に及んでいる。小泉さんと同じような体質を持つ安倍総理も、さすがに第1次内閣では参拝を控えたし、第2次内閣でも1年間は封印していたので、あるいは小泉参拝によるマイナスについての学習効果が出ていたのかと思っていたのだが、どうも私の読みが甘かったようで、安倍さんは遂に持論を実行に移したわけだ。
 上記の小泉参拝に対する私の批判は、安倍参拝に対しても同様に当てはまるものだと思うし、さまざまな意味で微妙な時期だけに、小泉参拝以上にその影響は広くかつ深いものだと思われてならない。その反響は、中国や韓国に限らず、アメリカその他の欧米諸国にまで及んで来た。「この人は歴史から何も学んでいないな」ということを改めて感じたところだ。
 しかし、考えてみれば、安倍総理がその点に気付かないほど愚かだとも思えない。これらの諸国の反発は、ひょっとして安倍さんの読みの中に入っているのかも知れない。私がいま最も気にしているのは、海外からの批判に対して我が国国民の反応がどういう方向に向かうのかということである。各国からの批判に対してかえって反感を持ち、嫌中、嫌韓、更には嫌米といった偏狭な国粋主義の方向に向かうことが一番怖い。安倍総理の狙いは、そういった国民世論の動向の可能性をも見据えた上で、「日本を取り戻す」ために、あえて四面楚歌になり、国際的に孤立する道を選んだことにあるのではないかとすら思わないでもない。国際的な孤立により安倍政権が立ち往生することを期待する気持も抱いている昨今の私だが、我が国の国益を損なうという意味では、孤立化は我が国にとっては絶対に避けなければならない道である。国益を考えない安倍総理の無責任さには、頭を抱え込まざるを得ない。
 もし国粋主義の方向に国民感情が動くとすれば、事態は悲劇的である。昨今の安倍総理の言動や、ブレーキ機能を欠いた与党の動きを見ていると、考え過ぎだとは思いつつも、国粋主義の理念ばかりが先行した戦前の記憶が蘇って来る。
 頼みの綱は国民の良識である。国民が偏狭で無責任な為政者に踊らされることのないよう、厳しい批判の目を持って賢明に行動することが肝要だと思う。
          
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今年の最後が暗い話題になるのは本意ではないが、新年早々ではなおさら不本意なので、思い立って書き記した次第。来年は明るい話題を書けるような年になって欲しいものだ。
 皆様どうかお元気で新しい年をお迎え下さい。