安倍総理の靖国参拝(スペース・マガジン2月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。実は、年末にほとんど同じものをこのブログに書いたので、それをご覧になった方にとっては二番煎じになっていることをお断りしておきたい。



[愚想管見]   安倍総理靖国参拝       西中眞二郎

 
 平成16年の秋、小泉総理の靖国参拝と国会答弁を巡って、以下のような趣旨の私の投稿が朝日新聞の「声」に掲載されたことがある。
―――靖国参拝についての小泉総理の見解には、いくつかの疑問がある。まず、たとえ大多数の日本人が靖国神社につき総理と同じような感覚を持っているとしても、それに不快感を持つ他人がいる場合、その他人の痛みに共感を覚え、それを尊重するということは、決して自分の立場を捨てることにはならない。加えて、ほとんどの日本人が靖国神社に対し総理と同じ感覚を持っているとは、私は思わない。神道という宗教形式のものであること、戦死者の慰霊という目的の裏返しとして戦争遂行のための手段として、更に言えば若者を死に追いやるための手段として利用されたこと、戦犯の扱い等々の理由から、靖国神社に関し総理と異なる感覚を持つ人も多いと思うし、私もその一人である。私の父は海軍軍人で靖国神社に「祀られて」いるが、父の慰霊と靖国神社とは、私の心の中では全く結び付いていない。
 総理の見解は、わが国の「国益」のためにも再考願いたいし、日本人がすべて総理と同じ感覚を持っているとは限らないという事実を御認識頂きたい。
            *  *  *  *   
 10年前の話である。御承知のように、その後、日中・日韓関係の修復には多大の時間と労力を要し、紆余曲折を経て現在に及んでいる。小泉さんと同じような体質を持つ安倍総理も、さすがに第1次内閣では参拝を控えたし、第2次内閣でも1年間は封印していたので、あるいは小泉参拝の際の学習効果が出たのかと思っていたのだが、どうも私の読みが甘かったようだ。上記の小泉参拝に対する私の批判は、安倍参拝に対しても同様に当てはまるものだと思うし、さまざまな意味で微妙な時期だけに、小泉参拝以上にその影響は広くかつ深いものだと思われてならない。その反響は、中国や韓国に限らず、アメリカその他の欧米諸国にまで及んで来た。「この人は歴史から何も学んでいないな」ということを改めて感じたところだ。
 しかし、考えてみれば、安倍総理がその点に気付かないほど愚かだとも思えない。これらの諸国の反発は、ひょっとして安倍さんの読みの中に入っているのかも知れない。各国からの批判に対して我が国の世論がかえって反感を持ち、嫌中、嫌韓、更には嫌米といった偏狭な国粋主義の方向に向かう危険性もないとは言えない。安倍総理の狙いは、そういった国民世論の動向の可能性をも見据えた上で、「日本を取り戻す」ために、あえて四面楚歌になり、国際的に孤立する道を選んだことにあるのではないかとすら思わないでもない。
 もし、そのような方向に国民感情が動くとすれば、事態は悲劇的である。昨今の安倍総理の言動や、ブレーキ機能を欠いた与党の動きを見ていると、考え過ぎだとは思いつつも、国粋主義の理念ばかりが先行した戦前の記憶が蘇って来る。
 国政選挙の機会は当分持てそうにないが、せめて目前に迫った都知事選挙で、小泉さん、安倍さん、更には石原さんや橋下さんがほくそ笑むような結果になることだけは、ぜひ避けて欲しいものだ。(スペース・マガジン2月号所収)