地方税の重税感(スペース・マガジン3月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。



[愚想管見]   地方税の重税感          西中眞二郎

 
 所得税の申告の季節になったが、毎年感じるのは地方税の重税感だ。ささやかな年金生活者である私の場合、所得税額は1万円前後、消費税の増税もたかだか年間数万円台の問題だが、都民税と区民税は所得税の10倍前後課税されている。また、固定資産税は、更にその2倍程度に及び、私にとっては、国税より地方税の方が遥かに重大な問題である。人によって所得構成の違いはあるだろうし、固定資産税は別の税体系の問題だから、これらを単純に比較するのには問題があるのかも知れないが、それにしても所得税1万円に対し、都民税・区民税が10万円台、固定資産税が20万円台というのは、どうにも腑に落ちない話である。
 自治体の財政力には大きな格差があり、御当地日立市については知識がないものの、自治体によっては重税にならざるを得ない場合もあるだろうが、私の居住している東京都は富裕な自治体であり、他の自治体とのバランスで言えば、ここまでの税収が必要なのかどうか、おおいに疑問がある。特に固定資産税の場合、地価の高さが税金の高さに結びついているわけだが、日常生活の上では土地価格は全く意味のない話である。資産価値という面に着目するのなら、売却した際に高い譲渡課税をすれば済む話であり、地価の高さを毎年の税金に跳ね返すのは、どうも合理性を欠いた話のように思えてならない。
 このように、大都市なるがゆえに過大な税収を得ている自治体が「税収は自分のものだ」という顔をして自由に振舞うことには大きな疑問がある。その財政的余裕が、住民の福祉向上に向けられているのならまだしも、過大な公共投資その他に向けられているものも多いように思われる。その最たるものと思われる東京オリンピック誘致の決め手になったのは、東京都の財政力のようだが、それは濡れ手に粟の都民からの「収奪」の結果にほかならない。オリンピックの誘致もそうだし、石原都政の際の新銀行東京の破綻などにしても、都民の負担をあまり気にせずに札ビラを切った結果のように思えてならない。また、日中関係悪化の契機となった尖閣問題にしても、当時の石原知事の無責任な尖閣購入構想が引き金を引いた。寄付によって賄うという方針になっていたようだが、都財政のゆとりがその発想の原点にあったように思え、無責任な金持ちの行動が至って迷惑な影響を周囲に及ぼしたと言っても良かろう。5千万円という巨額の金を倫理観も持たずにいとも無造作に受け取ったその後継者、市政を私物化して勝手な振舞いが目に余る西の大都市の市長等々、国税を遥かに上回る税金を徴収している首長たちの言動には、もっともっと厳しい目が向けられるべきだと思う。
 税制改正などに関する政府や国会の議論を見ていても、国税に比して地方税の問題はおざなりにされているような気がしてならない。国税の場合と同様に、あるいはそれ以上に、地方税の問題、更には自治体の財政力の格差についての真剣な検討が進められるべきものだと思う。(スペース・マガジン3月号所収)