安保法制懇報告と総理記者会見(スペース・マガジン6月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。



[愚想管見] 安保法制懇報告と総理記者会見     西中眞二郎

 
 5月15日、いわゆる安保法制懇の報告書が出され、同日安倍総理により政府の「基本的方向性」が示された。昭和7年に起こされ、犬養総理をはじめとする要人の暗殺により戦争への一歩となった五・一五事件と、奇しくも同じ日である。同じ15日の朝日新聞東京本社の声欄に、概ね以下のような趣旨の私の投稿が掲載された。


―――――安倍政権は、安保法制懇の報告書を契機として集団的自衛権是認に向けて走り出すのだろうが、安保法制懇の報告書にそれだけの意味があるものだとは思えない。安保法制懇は、安倍総理の私的諮問機関であり、法的には何らの権威を持ったものではない。また内容的にも、安倍総理と方向を同じくする推進派の人ばかり集めたものであり、安倍さんの意向に沿った結論を導くための、いわば「安倍さんに知恵を付けるための家庭教師の会」に過ぎない。しかも、中核となるテーマが集団的自衛権という憲法解釈の問題であるにもかかわらず、憲法の専門家がほとんど入っていない奇妙な構成の会であり、その報告書自体も、これまでの憲法解釈を実情に合わないと切り捨て、一方的な視点からの政策論を唱えているに過ぎない。安倍政権は、「集団的自衛権」を持ち出さなくても済むような耳当たりの良い事例で「集団的自衛権」に道を開き、それを突破口にして今後の拡大を狙っているとも聞く。そういった政権の狙いに乗せられることのないよう、そして今回の安保法制懇報告が権威あるもののように錯覚することのないよう、「はじめから結論の見えている何の権威もない安倍さんの私的な勉強会」だという原点を忘れずに対応して行くことが肝要だと思う。―――――

 
 同日行われた安倍総理の記者会見により、政府の「基本的方向性」が示された。当然のことながら、納得できない部分は多々ある。上記の私の批判との重複は避けたいが、一つは、集団的自衛権を必要とするケースの事例である。「まさに紛争国から逃れようとしている、お父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない。」一見もっともらしい例示ではあるが、大いに疑問がある。そのような事例であれば、「米国の船を守る」のではなく「日本人の人命を守る」ということで、集団的自衛権を持ち出すまでもなく、個別的自衛権で対応できるものだとも思われるし、そもそもそのような事例が生じる現実性がどれだけあるのかということも大いに疑問だ。安倍さんの意図は、本当に必要かどうかとは関わりなく、「集団的自衛権」という看板を掲げることに主目的があり、俗耳に入りやすい例示で風穴を開け、そこからその穴を広げて行こうという狙いが見えすいている。
 「しっかりと日本人の命を守ることこそが総理大臣である私の責任だと確信する」ともある。一見責任感ある立派なセリフに聞こえるが、そこには安倍さんの思い上がりが示されている。総理は決してオールマイティーではない。国会、そして究極的には憲法の制約の下に総理の責任と権限はある。それを無視して、すべてが自分の責任だというのは、立憲主義の理念を無視した発想だと思われてならない。(スペース・マガジン6月号所収)