絆(きずな)考(スペース・マガジン9月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


    [愚想管見] 絆(きずな)考         西中眞二郎

 
 東日本大震災以来だと思うが、「絆」という言葉の出番が随分増えているような気がする。震災の年の年末の「今年の漢字」にも「絆」が選ばれたし、災害のときの人々のつながり、かかわり、お互いの思いやりといった温かい感情が、この言葉に込められているようだ。爾来何かの折に、「絆を大事にしよう」とか、「同じ絆に結ばれた」といった表現に良くお目にかかる。何の違和感もなく素直に飲み込める場合が多いが、正直に言って、違和感を覚える場合もないではない。
 この言葉自体には、いくつかの意味やニュアンスがあるようだ。一つは、動物を繋ぐ綱に似た意味で、動物の行動を制約するものだ。もう一つは、多分それから転じたものだろうが、例えば「肉親の絆」といった具合に、断とうとしても断ち切れない人間関係という意味だろう。後者は、更にプラス・マイナスの両面のニュアンスを持ち、愛情に結ばれた温かい人間関係というニュアンスと、お互いに束縛される「くびき」というマイナスのニュアンスに分かれるのではないか。時として違和感を感じる「絆」という言葉は、その「束縛」や「制約」を連想される場合に生じて来るのではないかと思う。
 もっと意地悪く言えば、責任ある立場の人々がこの言葉を使う場合、政治や行政や社会がその責任を回避して、肉親や近隣の人々、更にはかかわりのない人々の善意や愛情にすがろうとする、一種の責任逃れにも似た姿勢が垣間見えるという気がしないでもない。
 漢字の元祖とでも言うべき中国では、「絆」という言葉の用法は随分違っているようだ。「つまずかせる」、「足払いをかける」、「人を陥れる」といった意味に用いられているようで、日本語の場合のようなプラスのイメージはないらしい。全くの聞きかじりだが、中国在住の日本人がプラスのイメージで「絆」という言葉を使おうとしたところ、中国人に全く理解して貰えなかったという話を聞いた。もちろん中国と日本で言葉の意味が異なって来ることは珍しいことではないが、どうやらマイナスのイメージから入って来た言葉が、長い年月の間にプラスの意味に拡大して使われるようになったのではないかと思う。
 全く違う話だが、かなり以前、「小さな親切運動」というものが提唱されたことがあった。これをもじって、「小さな親切・大きなお世話」というジョークが生まれた。中身はともかく、言葉のテクニックとしてはなかなかの傑作だと思う。この言葉の場合、「親切」と「お世話」という同種の言葉を対比させて、まるっきり違う意味にすりかえてしまったのが、「傑作」たる所以だと思う。もう一つ「お世話」といういわばプラスイメージの言葉が、「大きなお世話」という表現をとることによって、マイナスイメージに転化することが、面白さの根底にあるのだと思う。置かれた立場や心境などによって、ある場合には温かくて好ましいものになり、ある場合には煩わしいものになるということの、もう一つの例示とでも言えようか。
 ところで、「絆」という言葉を日常生活で使うケースは少ないと思っていたら、「絆創膏」という手近な用例があった。(スペース・マガジン9月号所収)