対案が必要とは限らない

 安保法制を巡って、「責任野党なら対案を出せ」という類の意見があるようだし、安倍総理にもそのような趣旨の発言があるようだ。しかし、これはおかしいと思う。
 何かをやらなければならないということがはっきりしている場合であれば、原案に反対なら対案を出せと求められるのが普通だろうが、今般の安保法制に関してはそうではない。現在の法制に手を付けなければならないというのが政府与党の見解なのだろうが、その必要性には疑問の点が多く、手を付ける必要はないという見解も十分成り立つところだろうし、現に、野党はそのような見解を持っているし、多数の世論も同様だと思われる。
 まして、政府原案は、憲法違反の疑いが極めて濃いものである。「そのような原案には反対であり、そのような発想での法制の整備の必要はない」というのは、立派な「対案」であり、「対案というのは法案の一部に手を加えることだ」という考え方があるとすれば、それは、余りにも政府原案を選択の原点とした発想に偏り過ぎたもので、容認できないものだと思う。
 
 なお、この法制についての国民の理解が不十分だという認識は政権側も持っているようだが、「十分説明すれば理解を得られる」と思っているのだとすれば、それは大きな誤解であり、うぬぼれだと思う。もともと憲法上も必要性の上からも問題の多いものであるだけに、理解すればするほど反対の声が強まるというのが本当のところではないか。

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 このところこのブログのお休みが多い。最大の理由は、題詠100首の選歌の在庫が貯まらないため、短歌関係の記事が途絶えていることだ。また、10年に亘って続いたスペース・マガジンへの寄稿を取りやめたので、その記事の再掲がなくなったこともある。
 そんなわけでのお休みは止むを得ないことだと思ってはいるのだが、「体調が悪いのではないか」、更には「認知症になったのではないか」と心配される方がおられてもいけないので、まだ元気だという証に粗稿を載せる次第だ。