人は一億分の一ではない

 一億総活躍担当大臣が誕生し、一億総活躍会議や事務局も動き出すようだ。何をやるのか良く判らないとか、既存の組織との関係とか、疑問だらけのスタートだが、より基本的な疑問がある。それは、「一億」という言葉であり、その背後にある発想である。
 「一億総動員」、「進め一億火の玉だ」、そして最後は「一億総懺悔」・・・いずれも先の大戦を思い起こす嫌なイメージの付きまとう言葉だ。このような言葉を公的な組織や政策の名称として無神経に使う感覚が、私には理解できない。言葉だけではない。この言葉からは、個々の人間の個性や尊厳は消えてしまい、異分子の存在を認めない総体としての「一億」、素材としてのマンパワーとしての「一億」というニュアンスしか伝わって来ない。個々の人間を、国民総体の一億分の一としてしか捉えようとしない感覚が、私の違和感の最たるものだと思う。
 そしてこの感覚が、安保法制によって代表される安倍政権の体質を表しているものだと思えなくもない。