総理の対野党の姿勢には問題

 安倍総理の施政方針演説の直後、先週の土曜日に書いて朝日新聞の「声」に投稿したものだが、どうも載りそうにない。しかも、今日の社説の一部に、これと似たようなことも書かれている。そうなると、これが「声」に載る公算はいよいよ小さいので、このブログに載せようと思う。
 一昨年までは、スペース・マガジンというローカルなタウン誌に毎月原稿を書いていたので、それに転用する手もあったのだが、同誌からは去年以来手を引いたので、言いたいことはこのブログに載せるしかないという事情もある。
         * * * * *


       総理の対野党の姿勢には問題

 安倍総理の施政方針演説を読んだ。納得できる部分もできない部分もあるが、私が最も基本的な異論を抱いたのは、野党に対する総理の姿勢だ。 演説では、冒頭で、幕末の小栗上野介の言葉まで引いて、「批判だけに明け暮れ、対案を示さない態度」は「国民に対して無責任」であると言い切っており、また、末尾でも重ねて、「ただ反対と唱える、政策の違いを棚上げする。それでは国民への責任は果たせません」と断定している。いかにも政府与党だけが国民に対して責任を果たしており、野党は無責任だと決めつけているに等しい。
 果たしてそうなのだろうか。野党が政府に対して批判的立場に立つことが多いのは当然であり、議会民主主義をとる以上、それは野党としての当然の責務ですらある。もちろん、「反対のための反対」は否定されるべきかも知れないが、基本的に問題のある政策に対して「全面反対」を唱えることは、野党としての当然の使命であり、国民に対する責任だと思う。総理演説は、野党に対する故なき誹謀中傷であり、野党の存在理由の否定にもつながるものだとすら思う。
 野党の言い分のみでなく国民の中にある異論に対してすら聞く耳を持たず、政府与党の言い分のみを貫き通そうとする安倍政権の姿勢こそ、国民に対して真摯に責任を負っているとは言えないのではないか。