私にとっての8月

八月がまた巡って来た。
 
 昭和十九年の八月には実父が戦死、昭和二十年の八月には広島原爆で祖父が死亡した。そして敗戦。幼かった私だが、敗戦の日の虚脱感と不安は、いまでもかなりはっきり覚えている。
 
 重苦しい思い出だけではない。夏休みの間は、近くの浜辺で海水浴に明け暮れていた。幼いころ、そしてかなり長じてからも、ふるさとの島の盆踊りは楽しみだった。我が家の二階に浴衣掛けの友らと勢ぞろいして、盆踊りに出掛けたのも懐かしい思い出だ。
実父の死後ちょうど二十年後には、長男が誕生した。
 
 八月は、私にとって、重苦しいものも、懐かしいものも含め、思い出がいっぱい詰まった、重くかつ深い月だと思う。正直に言って、これまであまりそのことを意識していなかったのだが、今年の八月はことさらにそれを重く感じる。歳老いたことによる感傷なのだろうか、八月がまた巡って来たということを、しみじみと思う。