冷静・率直な議論を(スペース・マガジン6月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


       [愚想管見]   冷静・率直な議論を  西中眞二郎
  
 福島原発事故の損害賠償のシステムの原案が固まって来たようだ。論点の一つは、これが原子力損害賠償法上の「異常に巨大な天災地変」に当たるかどうかということだろうが、どうやら「これには該当しない、したがって東京電力に賠償義務がある」という前提でシステムが考えられているようだ。東京電力が大きな責任を負うべきことは当然だが、2万人を超える人が犠牲になった天災であるだけに、「異常に巨大な天災地変」に当たるという見解は、十分あり得るものだと思う。また、「予見されていたから、これに当たらない」という見解もあるようだが、その「予見」を重視しなかったのは、電力会社だけではなく、国や多くの専門家も同様だったのだから、このことをもって「これに当たらない」と判断することには疑問も残る。肝腎なことは、被害者への賠償が迅速・的確に行われることであり、それが最終的にどのような負担形態になるのかは、今後じっくり検討すべきものだと思う。
 電力会社は、安全確保の義務と同時に、電力の供給義務も負っている。今回の事故という負い目があるだけに、その立場を主張すれば、無責任だとか卑劣だとかという類の批判を浴びることは目に見えているが、やるべきことをやるのは当然として、それと併行して自己の立場を主張することに臆する必要は全くない。互いの意見を主張し合った上で適切な結論を得ることこそが、法治国家としての在り方だと思う。
 原子力発電はじめ、エネルギー問題に関する抜本的な検討が今後進められるようだが、これだけの事故に直面した以上当然のことだ。ただ、このような事故の後だけに、原子力発電を是認する意見を主張しにくいというムードになるとすれば、それは一つの問題だと思う。世の中には、理想家と実務家が居る。理想家の視点からすれば、当然のことながら危険性のあるものはない方が良いという明快な答になる。他方実務家の視点からすれば、電力の安定供給その他の課題を軽視するわけには行かない。また、今後の発展途上国のエネルギー需要の増大を考えると、原子力のないエネルギー構造が世界的に可能なのかどうかも気になる点である。原子力は扱いにくいエネルギーであり、とりわけ放射性廃棄物という負の遺産を子孫に残すという大きな欠陥を持つが、視点を変えれば、原子力利用は、石油その他の化石燃料を子孫に残すことでもあり、原子力に関する知識や技術の蓄積を子孫に残すという一面も持つ。あれこれ考えると、実務家の視点はいかにも歯切れの悪いものになる。今回のような大事故の後ではなおさらである。
 今回の事故に関し、これまで原子力発電を進めて来た人々の責任を問うことは当然だが、彼らが電力の安定供給という国民生活に不可欠な、場合によっては人命にもかかわる課題に、真剣に取り組んで来たことも事実だと思う。そのよって立つ基盤が崩れかけていることは否定できないが、彼らを「御用学者」、「経済至上主義者」などと決めつけたり、「世論」の名の下に、その主張をことさらに軽視することが適切だとは思わない。
 今後、さまざまな論点を、さまざまな視点から冷静かつ率直にぶっつけ合うことによって、現実と理想の双方を見据えた結論が得られることを期待している。(スペース・マガジン6月号所収)