東京都教育委員会への疑問

 東京都教育委員会が、一部の都立高校の歴史教科書に「扶桑社」のものを採用したという。そのこと自体も問題だと思うが、その選択基準を見て驚いた。お気づきの方も多いと思うが、その基準は、①北朝鮮による拉致問題 ②神話 ③尖閣竹島の3点についての記述を物差しとしているというものである。問題はいろいろあろうが、私の視点からすれば、以下の2点が大きな問題だと思う。
① 以上の3点は、その人の世界観、思想信条等によって、見解が大きく異なる性格の問題である。この種の問題を、特定の考え方を物差しとして選択の基準とすることは、教育の中立性からも大きな問題であり、特定の教科書、特定の思想を押しつけようという発想にほかならない。
歴史教育という観点から見て、これら3点は、必ずしもその本流をなす大問題ではなく、選択の物差しとしては余りにも矮小である。物差しにふさわしいものは、ほかに多数あるはずである。

問題点を列挙すればまだまだあるだろうが、とりあえず気になったのは以上の2点だ。
この物差しを作ったのが教育委員会自身なのか、事務局なのか、それとも石原都知事なのかは知らないが、このような物差しを作ること自体、良識を欠いたものだと言わざるを得ない。石原知事の偏った、かつ、強引な発想が、ここまで及んだかと考えれば、ほとんど絶望的とも言える心境になって来る。

  国旗国歌についての都教育委員会の強引で強圧的な姿勢、矮小なことで言えば米長委員の園遊会での非常識な偏った発言等々、都教育委員会にはこれまでも大きな不満があったが、今回の採択はそれに輪をかけたものとしか思えない。加えて、このたびの決定は、6人の委員全員の賛同を得たものだという。一部にそのような発想の委員がいても、それは全体のバランスからあり得ることだとは思うが、6人全員が「偏狭な国粋主義的発想」の人だということは、一体どういうことなのだろうか。石原知事によって選ばれた教育委員だから、もともと期待すること自体が無理だと言えばそれまでだが、そこまで絶望的な状態だとは思いたくない。

 一体どういう人たちが教育委員なのだろうかと思って、教育委員会のホームページを開いてみたら、肝腎の委員の名前が出ていない。あまりにも偏ったかつお粗末な人選だから、公にしたくないのかと、勘繰りたくもなる。どこかに出ていて、私の探し方が悪いのかも知れないが、それにしても、それが探しにくいということは、問題であることに変りはあるまい。どうも結果だけを見れば、偏った構成だとしか思えないし、バランス感覚と知性を持った人物が入っているとはとても思えない。
 
いまさら驚く方がおかしいのかも知れないが、このような独善を許している都議会にも絶望感を抱かざるを得ない。「助けてくれ!」と叫びたくなる心境だ。

(このメモは、数日前から念頭にあったのだが、今日30日の朝日新聞の社説に一部類似のものが掲載されてしまった。したがって一部はその剽窃のような結果になってしまったが、決してそうではないことを御理解頂きたい。なお、今日の当ブログには別のテーマを書いてしまったので、少々ゴマカシをして、昨日(29日)付けのブログに掲載することにした。)