民主党への疑問(スペース・マガジン5月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


   [愚想管見] 民主党への疑問             西中眞二郎


 「ねじれ国会」のため、さまざまな点で紛糾が続いている。「ねじれ」は決して異常な事態ではなく、一つの正常な姿なのだと思う。2院制を採っている国の場合、「ねじれ現象」は必ずしも稀なことではないだろうし、議会の多数派と大統領とが異なる政党である場合も稀ではあるまい。それでも国政は動いている。「ねじれ国会」こそ、与野党ともにその度量と力量が問われる場でもあると思う。


 ところで、野党というものの存在理由は、一体どこにあるのだろう。最低限の存在理由は、政府与党の独走を許さない批判勢力というところにあるのだろうし、それを期待している人も多いのだろうと思う。私の場合、憲法改正には反対だし、小泉さんの思い付き的改革路線や安倍さんの戦後レジームからの脱却路線にも大いに異議があった。したがって、半ば当然のこととして、それに抵抗する存在としての野党に期待するところが大きかったのだが、現状を見ると、そうとばかりも言っていられない。福田さんはいささか頼りない存在に見えるが、少なくとも小泉さんや安倍さんのような「危険な存在」には見えない。とすれば、私の目から見る限り、福田さんに対する「抵抗勢力」としての野党の存在理由は多かれ少なかれ減少しているような気がするのだが、折しもそのような時期に参議院では野党が過半数を占め、「野党横暴」が可能な体制になってしまった。


 その一つの典型が日銀人事である。民主党の反対理由が全く理解できないというわけではないが、どうも余りにも硬直化した反応のような気がしてならない。少数野党であれば、自分なりの筋を通してさえいれば良かった。しかし、参議院で多数を握る野党となってみれば、自分が「筋を通す」ことが、そのまま結果につながって来る。民主党は、その責任を果たして自覚しているのか。
 武藤総裁案や田波総裁案はともかく、「渡辺副総裁」案に関しては、民主党の大勢は同意に傾いていたという。それを小沢党首の「決断」で反対の方針を決め、党議拘束を掛けたという話だが、それが政党として正しいやり方なのかどうか甚だ疑問である。ましてや小沢さんの決断に従うと決めた最大の理由が、報じられているように、党首の求心力の低下や小沢さんがまたまたプッツンするのではないかという懸念からだったのだとすれば、このような政党に期待を掛ける気持はぐらついて来るし、ましてそのような党首や政党に国政を委ねる気持にはとてもなれない。党内で議論が分かれているのだとすれば、「党議拘束」ではなく、むしろ「自由投票」にすべきだったと思うし、棄権や欠席という選択肢も残されていたのだと思う。それで党首の「求心力」が低下するのだとすれば、そのような「求心力」はもともと作り上げた虚構に過ぎず、政党としての存在理由そのものにすら疑問を呈したくもなる。民主党はいつから独裁政党になってしまったのか。


 小沢さんの強硬論の裏にあるものは、福田政権との対決姿勢を強め、政権奪取の動きにつなげたいということなのだろう。もちろん政党である以上、政権を奪取し、自分の政策を実現したいという意欲を持つことは当然だろうが、現状は、政府・与党の足を引っ張ること自体が自己目的化してしまい、好んで対立軸を作り上げて、国政の混乱を避けるどころかむしろそれを期待するという姿勢にすら見えなくもない。それが参議院で多数を占める「責任野党」として正しい道なのかどうか、私の迷いは募るばかりである。
(スペース・マガジン5月号所収)

        *      *      *

 この手の話は、どうもむずかしい。書いたときには時宜を得たホットニュースのように思っていても、1月経ってしまうと色あせたものになってしまう場合が多いし、その後の世相の流れによって、書いた当人の反応自体が変わって来る場合もある。このエッセイに関する限り、今の時点で考えれば、少し民主党に厳し過ぎたかなという気がしないでもない。