坂本龍一さんの発言はあまりにも粗雑

 7月17日朝日新聞朝刊によれば、16日の「さようなら脱原発10万人集会」で坂本龍一さんが、「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもを守りましょう。国土を守りましょう。」と挨拶したという。極めて粗雑な論理だと思う。


 前段に限って言えば、問題は2点あると思う。まず、「たかが電気のため」という表現である。電力供給が不足した場合、「冷房を少し我慢すれば」という程度の軽い影響では済まない。大停電が起これば人命に影響する場合も出て来るだろう。また、たとえそこまで行かないとしても、供給不安自体が、社会的にも不安要因になるし、原子力を放棄することになれば、当面電気料金が上がることは間違いない。「原子力発電のコストは必ずしも低くない」という見解もあるようだが、原子力発電は設備コストは高いが、運転コストは低い。もしいま直ちに原子力発電をやめるとすれば、原子力の高い設備コストのみを負担し、安い運転コストのメリットを放棄することになり、最もコスト高になる選択となる。そのコスト増大がすべて電気料金に転嫁されるとは限らないが、どこかでだれかが負担しなければならないことは自明であり、国民経済的には極めて大きな損失となる。
 「電気料金が少しくらい上っても我慢できる」と考える人もいるだろうが、製造業をはじめとする産業はそうは行かない。そうでなくても産業の空洞化が大きな問題になっている現在、「電気料金が大幅に上がり、しかも供給不安がある」ということになれば、我が国製造業は立ち行かなくなり、その海外移転に拍車を掛けることになるだろう。そのことは、我が国における雇用機会の減少に直結するし、就職難や失業、更には地域の疲弊にも繋がって来る。我が国の国力や国際的地位も大きく低下するだろう。


 もう一つの論点は、「命を危険にさらす」という表現である。原発事故を軽視するわけではないが、「命を危険にさらす」という表現は余りにも過激だと思う。2万人に近い人命が失われた今回の大震災との対比で言えば、今回の原発事故の影響は、「命の危険」とはかなり距離のある話である。
 以上のような意味で、坂本さんの発言は、電力供給の重要性を過少評価し、事故の危険性を過大評価した、バランス感覚を欠いた判断によるものであり、無責任なアジテーションだという気すらする。


 それでも脱原発すべきだという見解は当然あり得るだろうが、その場合にも、少なくとも以上に書いたような視点を十分踏まえた上で判断すべきものであり、坂本さんのようなアンバランスな視点に立って、「子ども」や「国土」といった情緒的な言葉で決めつけることが正しい判断につながるものとは思えない。